豪族の氏神からやがて庶民への信仰へと移っていった「稲荷信仰」とその経緯
全国の神社を祭神別にランキングすると、八幡神社を祀る八幡宮、八幡神社が一番多いとされていますが、道端にあるちょっとした祠や屋敷内にある邸内社まで含めると、恐らく稲荷神を祀る神社が堂々の1位にランクインされるでしょう。
そのくらい、全国的にみてお稲荷さんを祀っている神社や祠は多いです。
稲荷信仰は全国に広まっていますが、特に江戸での人気は高く、「江戸に多いもの、伊勢屋稲荷に犬の糞」と落語のネタにもされているほどです。
稲荷神はもともとは平安遷都前の京都を開拓した渡来系氏族の秦(はた)氏の氏神でした。その創建の由来については『山城国風土記』にも記されています。
それによると、秦氏の祖先のである秦 伊侶具(はた の いろこ)が餅を的に矢を射ようところ、狙っていた餅の的が白鳥になって飛び立ち、山に降りて稲になったのだとか。
そこで伊侶具はその場所に社を建て、社の名前を「稲成り(いなり)」としたのがその始まりなのだそうです。この餅の白鳥が降り立った山こそが、伏見稲荷大社の本殿裏にある稲荷山でした。
現在も修学旅行生や外国人観光客に人気のスポットである伏見稲荷大社
この稲荷神の信仰が平安時代以降全国に広まっていくのですが、この流れには東寺も関わっているようです。
東寺には、空海が紀州の田辺というところで稲荷神と出会い、都に来るように頼んだとされています。
その数年後、稲荷神は2人の婦人と2人の子どもを連れて東寺を訪問してきたので、空海は一行を厚くもてなし、稲荷山に案内してここに鎮座するようにお願いしたという伝承が残されています。
春に行われる伏見稲荷大社の稲荷祭では、神輿が東寺の前を立ち寄り、東寺の僧たちの読経を受けます。これは、稲荷神と空海のエピソードに由来するのだとか。
稲荷神は、後に五穀をつかさどる御食津神・ウカノミタマ(宇迦之御魂神)と同一視されるようになります。
また、稲の神様ということで、全国各地の田の神として民衆の間にも信仰が広まると、やがて方策を与える神であることから、植財の神ともみられるようになり、商工業者の信仰を集めるようになっていきました。
ウカノミタマは、稲穂を担ぎ、鎌を手に、神の使いであるキツネの姿で描かれることが多いですが、キツネが神使になったのには、狐が農作物を荒らすネズミを食べることから、稲を守ってくれる動物として考えられたからです。
参考文献
吉野 裕 翻訳『風土記』(東洋文庫 1969) 五来重監修『稲荷信仰の研究』(山陽新聞社 1985)日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan