幕末、明治維新の重要人物・西郷隆盛と3人の妻たちそれぞれのエピソード
幕末、明治維新において、重要人物の一人である西郷隆盛(さいごうたかもり)。
上野公園の銅像も有名ですし、数年前には大河ドラマにもなりました。大河ドラマでも注目されたのが、彼とその3人の妻たち。それぞれに個性がある妻たちを今回の記事ではご紹介します。
まずは……西郷隆盛についてざっくりおさらい
西郷隆盛は、薩摩藩の下級武士の家の長男として生まれました。大久保利通は彼の3歳年下でしたが、幼いころからの友人でした。島に流されるなどもありましたが、倒幕へとかじを切り、坂本龍馬の仲介により長州藩の木戸孝允と薩長連合を結びました。
また、勝海舟とともに江戸城無血開城、さらに王政復古のクーデターを成功に収めました。明治新政府内でも改革を行いましたが、征韓論に敗れ1873年鹿児島へ。私学校の不平士族に促され挙兵しましたが、新政府軍に敗れ、死を迎えました。
一人目の妻・須賀(スガ)西郷さんの最初の結婚は、彼が26歳のときと言われています。相手は名門である伊集院家の娘の須賀(スガ)。彼女は当時21歳くらい。
須賀の父は伊集院兼善といい、西郷家よりも格上でした。しかし、結婚後すぐ不幸が西郷家を襲います。西郷隆盛の祖父・父・そして母が立て続けに亡くなったのです。さらに、当時西郷隆盛は江戸での勤務を命じられ、薩摩を出る必要がありました。結婚したばかりという状況で、西郷の兄弟たちの世話もしなければならないというのは、須賀にとって苦労が大きかったと言われています。
そして、それを見かねた須賀の父が彼女を実家に呼び戻しました。その後、二人は離縁することに。結婚していた期間はわずか2年ほどでした。
二人目の妻・愛加那(あいかな)西郷隆盛は、京都の僧侶である月照との入水事件のために、奄美大島に流されました。そこで出会ったのが、彼の二番目の妻となる愛加那(あいかな)です。彼女は西郷が身を寄せていた龍家の娘。
1861年には長男である菊次郎が誕生しましたが、二人目の子ども(菊・女子)を身ごもっていたときに、西郷は薩摩藩に戻されることになります。愛加那は島妻(アンゴ)であったため、彼女を薩摩藩に連れて帰ることは許されませんでした。
三人目の妻・糸西郷隆盛の三人目の妻は、1865年に結婚した糸(いと)。すでに西郷隆盛は薩摩藩でも中心人物として周囲から頼られる存在になっていたため、家をしっかりと任せられる女性が必要でした。家を支え、家の中心となっていきました。自分たちの子どもだけでなく、西郷と
愛加那とのあいだに生まれた2人の子ども(菊次郎と菊草)も引き取り育てています。
いかがでしたか?今回は、日本史上で最も有名な人物の一人である西郷さんの私生活に注目してご紹介しました。
この記事が、みなさんが少しでも歴史や明治時代に興味を持つきっかけになれば嬉しいです。
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