終戦後に特攻した「神州不滅特別攻撃隊」そこには女性の姿も。彼らが残した思いとは
「アダムダバイ」
終戦後、満州に乗り込んできたロシア人の多くはそう言っていたのだとか。「アダムダバイ」とはロシア語で「女を出せ」という意味があり、当時の日本人女性はソ連に辱めを受けまいと坊主にし、男装することで身を守ったそうです。
また、ソ連は敗戦した日本に「慰安婦」を要求することが多く、慰安婦として駆りだされた女性たちは「特攻隊」とよばれていました。満州に侵攻してきたソ連軍の多くは囚人兵だったこともあり、敗戦した日本人への扱いは酷く、当時を知る人たちは「地獄だった」と言います。
もう1つの「特攻隊」慰安婦として駆りだされた女性たちの「特攻隊」とは別に、満州に常屯し支えていた「特攻隊」がありました。
彼らは、日本軍関東軍に所属しており、当時ロシアが保有していたミサイルも爆弾も通用しない最強兵器「戦車」の対抗手段として特設された部隊です。
彼ら「特攻隊」の多くは若い男性を中心に結成されており、「強力すぎる戦車を止めるため、戦闘機にのり、戦車に体当たりをして足を止める」という無慈悲な役割を担っていました。しかし、なかには終戦まで特攻することなく生きながらえた隊員もいたのです。
そんな特攻隊が、終戦から2年後、再び戦闘機に女性を乗せ「特攻」したという情報があります。なぜ彼らは終戦後、再び戦闘機に乗ったのでしょうか?そしてなぜ、女性は戦闘機に乗ったのでしょうか?
戦後の満州と特攻隊の作戦終戦後、満州に侵攻してきたロシア人は日本人を捕虜として捕まえ、奴隷のように扱ったのだとか。捕まることを恐れた日本人は満州国を南下し現在の韓国である釜山の方へと逃げたそうです。
しかし、戦車や戦闘機など技術力に長けたロシア軍にすぐ見つかってしまい、捕まる人が絶えませんでした。その悲惨な状況を目の当たりにした特攻隊は、民間人が釜山まで逃げる時間を少しでも稼ぐことができないかと、ある計画を立てます。
その計画が、「ロシアの戦車に特攻する」といったものでした。
戦車の足を止めることで民間人が逃げる時間を稼ぎつつ、「日本人を怒らせると何をしでかすかわからない」と思わせることで、一時的にロシア軍の動きを止める目論見があったのです。
彼ら「特攻隊」は、自らの命と引き換えに満州在住の民間人の逃避時間を稼ぐ決意をしました。そんな彼らのこそが、「神州不滅特別攻撃隊」です。
夫婦で特攻した「神州不滅特別攻撃隊」の隊員谷藤徹夫も、「神州不滅特別攻撃隊」の1人でした。彼は決心が鈍らないよう特攻前日、妻・朝子にその決意を明かしたそうです。それを聞いた朝子は 「命を落とさずとも、ロシアに辱めを受けるくらいなら、最愛の夫とともに敵軍に突撃して果てたい。私も連れていってください」と哀願したのだとか。
特攻当日、朝子は真っ白のワンピースを着て、夫の徹夫が乗る戦闘機に乗り込み大空へ飛びたちました。
「神州不滅特別攻撃隊」は「国敗れて山河なし 生きてかひなき生命なら 死して護国の鬼たらむ」と言う一句のみを残し、メンバー11人全員がロシアに特攻しました。
その後日本軍は谷藤徹夫ら攻撃隊の行為について、 「特攻は降伏命令に反したもので、さらに2名、女性を同乗させた軍紀違反」と話しています。そのため、残された家族は戦没者遺族にも認定されませんでした。
そして長い間、誰にも触れられずに埋もれていた、戦争の犠牲となった攻撃隊たちと女性2名の悲しい物語だったのです。
さいごに今回紹介した谷藤徹夫さん、朝子さんたちの実話は、ノンフィクション作家「豊田正義」氏が「妻と飛んだ特攻兵 8・19 満州、最後の特攻」としてまとめ、世に発表しました。
その後、「妻と飛んだ特攻兵」としてドラマにもなっており、谷藤徹夫役を成宮寛貴さんが、朝子役を堀北真希さんが演じています。
彼らの飛んだ空に再び悲しみを背負った戦闘機が飛ばぬよう、私たちは平和への努力を続けていく義務があります。
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan