天皇の住む内裏の警護をする武士「滝口武者(たきぐちのむしゃ)」とは?名前の由来は?

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天皇の住む内裏の警護をする武士「滝口武者(たきぐちのむしゃ)」とは?名前の由来は?

みなさんは、「滝口武者(たきぐちのむしゃ)」という言葉を聞いたことがありますか?

9世紀末ごろから活躍した、天皇の住む内裏(だいり)の警護をする武士です。滝口の武士(たきぐちのぶし)と呼ばれることもあります(この記事では「滝口武者」という名称で統一して表記します)。

そこで今回の記事では、そんな滝口武者について、歴史や似ている役職との違いなどを詳しくご紹介します。

滝口武者(たきぐちのむしゃ)とは?

京都御所で復元された滝口

滝口武者(たきぐちのむしゃ)は、天皇の住む内裏の警護をする人々です。滝口、という名前の由来は、御所の清涼殿の庭北東に滝があり、その滝口(御溝水(みかわみず)の落ち口)の近くにある詰め所(この詰め所は「滝口陣(たきぐちのじん)」と呼ばれます)に宿直していたことからです。

天皇の近くで働くため、誰でもがなれるというわけではなく、10人から30人がその定員だったようです。ちなみに、この滝口武者は紫式部が書いた『源氏物語』の「夕顔」にもその描写があります。

「源氏夕顔巻」(月岡芳年 画)

滝口武者の歴史

滝口武者がはじめて置かれたのは、9世紀末の宇多天皇のころ。それまで、内裏の警護と言えば近衛府の仕事でしたが、薬子(くすこ)の変という、桓武天皇の子である平城天皇(条項)と嵯峨天皇兄弟のお家騒動がきっかけとなり、蔵人(くろうど)所が管轄するようになりました。

当時の京都は治安が悪く、盗賊たちが荒らしまわっていました。彼らが狙うのは稲など。この対策として、内裏を守る滝口武者が設置されました。

検非違使・北面の武士・西面の武士との違いは?

検非違使(けびいし、けんびいし)は、平安初期に設置され、京都の犯罪や風俗を取り締まる警察業務を担当しました。北面の武士は、11世紀末に上皇の警備を行っていた武士たちです。白河法皇によって、寺の強訴などに対応するために設置されました。

白河天皇

同じく西面の武士も上皇の警備を行いましたが、設置されたのは13世紀初めでした。後鳥羽上皇によって鎌倉幕府に対抗する軍事力となることが目的でした。

これらが、滝口武者との違いです。

いかがでしたか?今回は、滝口武者についてご紹介しました。この記事が、みなさんが少しでも歴史に興味を持つきっかけになれば嬉しいです。

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