追悼・千葉真一…生前語った「役者魂」とあたたかな人間性
『週刊大衆』で自身の俳優人生を語る『侍役者道』を連載中だった千葉真一さんが8月19日、新型コロナウイルスによる肺炎のため、千葉県君津市内の病院で亡くなった。82歳だった。
「1960年に俳優デビューした千葉さんの転機となったのは、TBS系ドラマ『キイハンター』でした。悪と戦う丹波哲郎、野際陽子ら6人の“キイハンター”の一人として見せた華麗かつダイナミックなアクションで、国民的な人気を得ました。海外でも放送され、ジャッキー・チェンはスタントマンを使わない千葉のアクションに衝撃を受けたそうです」(テレビ誌記者)
だが、千葉さんは「一つの場所に安住したくない」と、人気の絶頂にありながら、テレビ界を離れることに。
深作欣二監督のヒット作『仁義なき戦い 広島死闘篇』に出演したのは、その直後だった。従来の正義のヒーローから一転、凶悪なヤクザを演じたのだ。
その後も『柳生一族の陰謀』(78年)で柳生十兵衛を演じ、初の時代劇映画に挑戦すると、『戦国自衛隊』(79年)では日本初のアクション監督も務めた。そして『リメインズ 美しき勇者たち』(90年)では、初の監督業に挑戦した。
一方で、アクション俳優の育成を目的に『ジャパン・アクション・クラブ(JAC)』を創設。
「アクションは肉体の言語である」を持論に、真田広之、堤真一ら多くの俳優を育てている。
『週刊大衆』記者が取材で初めて自宅を訪れた際、まず驚いたのは広いトレーニングルームだった。25メートルの室内プールを改築した部屋に、最新の筋トレマシンがズラリ。ここで1時間以上汗を流すのが日課だった。千葉さんは、体を鍛える理由を、こう語っていた。
「役者の基本は肉体です。オファーがあれば、時代劇の殺陣も現代劇のアクションもOK。まだ、体は動きますよ。危険だからといって吹き替えに頼っていたら、自分の作品とは言えないでしょう」
『週刊大衆』連載の構成を担当するライターの米谷紳之介氏は、千葉さんの人柄を次のように語る。
「ひと言で言えば、礼儀正しく、誠実な方でした。取材の際、特上の鰻重を全員にふるまい、“自分で作ったんだ”と、自家製の漬物まで出してくださったこともありました。誰が相手であれ、常にそうした気配り、優しさがありました」
現在発売中の『週刊大衆』9月13日号では、千葉さんの人柄がうかがえるコメントが多く掲載されている。