戦国時代の義理堅い名将!今も”せいしょこさん”として親しまれる武将・加藤清正の人生と人柄 (2/2ページ)
天草の乱や朝鮮出兵などを経て、豊臣家への忠義を強めていきます。その後、豊臣秀頼と徳川家康の二条城での会見を取り持つなどします。その後京都から肥後へ帰る途中病気になり、そのまま亡くなりました。
加藤清正はどんな人物だった?幼少期から身体が大きく武芸にも優れていたという清正は、秀吉をはじめ周囲の人から可愛がられていたといいます。
幼少期に負けた方が勝った方の家臣になるという約束をして争い、森本一久と飯田直景は清正の家臣になっています。ちなみに、この二人は加藤家三傑と呼ばれるようにもなります。
また、熊本にある日蓮宗本妙寺と加藤神社は、今でも「清正公(せいしょこ)さん」を信仰する人々が通うといいます。
加藤清正は領内の治水事業にも積極的に取り組み、その土木技術力の高さから、今でも使われている遺構も多くあると言われています。さらに工事現場には工事が無事に終わるようにと、祠(ほこら)に清正公が祀られているそうです。
いかがでしたか?今回は、加藤清正についてご紹介しました。この記事が、みなさんが少しでも歴史に興味を持つきっかけになれば嬉しいです。
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