裏切り者?名将?築城の天才・藤堂高虎の江戸城縄張りと、石垣に見る驚きの築城術 (3/4ページ)
しかしながら、その緻密な築城術、その規模の大きさ、理にかなった縄張り…それらを通して、「藤堂高虎」という武将がいかに「名将」であったのか、江戸城の構造から高虎の能力を見てみましょう。
藤堂高虎の築城センスが反映された江戸城徳川家康が小田原征伐の功として関八州を与えられ江戸に拠点を移しました。当時の江戸は武蔵国のへき地と言えるような場所…葦が繫る湿地帯であったと言われます。
太田道灌が関東統治の拠点として千代田城(江戸城前身)を築城したのは100年以上も前のことで、城はだいぶ風化してしまった状態であったと想像できます。このような場所に「天下の城」を築くのですから、壮大なプロジェクトであったことでしょう。
徳川家康は江戸城の屋台骨とも言える外堀工事と石垣普請を藤堂高虎に命じました。
江戸城外堀は城を中心に「の」の字型に伸びています。