おろかで無能な藩主。非人道的な政策で島原の乱を引き起こした暗君「松倉親子」の愚行【後編】 (2/3ページ)
領民への尋常ではない搾取
松倉勝家の領民に対する異常なまでの搾取は、次のような方法でおこなわれました。
父と一緒に石高に対して分不相応な築城を進め、年貢の過重負担や過重労役。 島原藩の財政を健全化するため、領民に対して「九公一民」(税率9割)の税負担を課する。 飢饉で税収が下がったため、赤ん坊税、生存税、死亡税、改築税 、畳税、墓穴税など人間の生から死までのすべてに税を課した。領民はこのような搾取をされれば税金を払えなくなり、生きていくこと自体危ういものとなります。松倉勝家は父をも越える暗君として常軌を逸した行動にでたのです。
領民への厳しい処遇とキリシタンへの弾圧
松倉勝家の異常な搾取によって、領民は税を納められなくなります。勝家は、年貢や税を納められなくなった領民や村の責任者から人質をとるようになり、さらに厳しい処遇を課していきます。拷問にかけたり水牢に裸でいれ続け絶命させたり、悪行の限りを尽くしたのです。
また、父と同様にキリシタンにも非道な弾圧(拷問や処刑)を行いました。
領民やキリシタンの我慢もとっくに限界を越えていました。1637年10月25日、遂に領民は代官所を襲撃し代官を殺害します。それが島原藩内に拡大し、天草にも飛び火して島原の乱へと発展するのです。
松倉勝家の末路島原の乱は4カ月続き、幕府側の総攻撃によって鎮圧されます。