斎藤佑樹が引退表明と同時に返上した「陰のアダ名」とは (2/2ページ)
「プロ1年目はその『まったれ』が、逆に武器になったんです。ナチュラル・フォークボールというか」(同前)
一時期、開き直って、この「まったれ」を武器にしていた。プロの一流バッターからすれば、球筋の悪いボールは本当に打ちにくく、そこに正規の握りによるフォークボール、スライダーも織り交ぜ、対戦打者を悔しがらせた。しかし、どのチームにも2度目は通用しなかった。
その後、大学に入学したころの直球の軌道を取り戻そうと努力したが、逆効果だった。球速が蘇らなかったからだ。
「球速が『並み』以下では、打ってくださいと言わんばかり。努力すればするほど、特徴のない投手になっていきました」(球界関係者)
それでも努力を続けたが、メンタルよりも先に肉体が悲鳴を上げた。晩年は故障との戦いも加わった。
「30歳を迎えたころ、それを認めたくない一心で投げ続けていました」(同前)
ピークは18歳、夏の甲子園大会だったというわけか…。“早熟投手”にとって、プロ野球生活は苦痛の日々でもあった。「まったれ」と、もう揶揄されることはない。斎藤はどこか安堵しているのではないだろうか。
(スポーツライター・飯山満)
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