人々に愛された小便公方?志村けんのバカ殿様のモデルとされる第9代将軍・徳川家重 (2/3ページ)
さらに頻繁に尿意を催し、時には漏らしてしまうこともあったようで、排尿障害も疑われていたようです。
そのため、世間からは「バカ殿」や「小便公方」と呼ばれることもあったのだとか。また、言語障害を患っていた家重は、たった1人を除いて、自分の言葉を他人に理解してもらえませんでした。
最大の理解者「大岡忠光」家重の言葉を理解できた「たった1人の人物」とは、若い頃から小姓として家重に仕えていた「大岡忠光」。
もともと優秀だった家重は、忠光の協力のおかげで江戸の町を統治することに成功し、十代将軍となります。また、忠光は家重を裏切ることなく生涯をかけて支え続けました。
そのため家重は生前、「素晴らしい友を持った。出雲の神などいない」と、神と比較して忠光を称えたといわれています。
バカ殿と呼ばれた家重家重は、眉目秀麗で頭脳明晰な弟「宗武」と比べられることが常でした。また、次期将軍を宗武にしようという話もあったことから「なぜ兄弟でこんなにも違うのだろう。いっそ死んでしまおうか」と悩んでいたそうです。
青年へと成長した家重は部屋にこもって酒を飲むだけの不摂生な生活を送り、学問にも武芸にも興味を示さなくなっていました。
たまに部屋から出てきたと思ったら、酒臭いニオイを城内にばら撒きながらうろつくばかりだったため、使用人たちからは陰で「バカ殿」と呼ばれていたのです。
大奥での家重脳性麻痺の後遺症に劣等感を抱いていた家重ですが、生まれてすぐに母を亡くしており、誰にも甘えることができず1人で苦しみを抱えていました。
