坂本龍馬の暗殺を知っていた?海援隊の結成も後押しし、五箇条の御誓文にも関わった「福岡孝弟」 (2/2ページ)

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海援隊士

当時の福岡孝弟には、藩の軍事組織を設立する考えがあり、それは「海」と「陸」を守る二つのグループを作る、というものでした。

そこで彼の目を引いたのが当時長崎で亀山社中を興し実績もあった坂本龍馬でした。同じく奔走していた中岡慎太郎にも着目し、二人の脱藩を許し、彼らにそれぞれ「海援隊」と「陸援隊」を任せることにしました。

福岡孝弟は坂本龍馬の暗殺を知っていた?

坂本龍馬は、慶応3年(1867年)に起きた近江屋事件で暗殺されてしまいましたが、実は福岡孝弟はそれを知っていたのではないかという説があります。

坂本龍馬

というのも、坂本龍馬は暗殺された当日、福岡孝弟のもとを2度も訪ねているのですが、そのどちらも福岡は留守。これは居留守を使ったのではないかと言われており、その理由が(具体的な日にちはわかっていなかったけれど)いつか坂本龍馬が暗殺されることを知っており、彼と一緒にいることに身の危険を感じたからではないかと言われています。

いかがでしたか?

この記事が、みなさんが少しでも歴史に興味を持つきっかけになれば嬉しいです。

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