江戸最大の深川岡場所の花街に生きた「辰巳芸者」という“いき”のいい女たち【前編】 (2/2ページ)
江戸の中心からは遠い深川は水路に囲まれているので、直接舟を着けることが出来る茶屋も多く便利だったのです。
そして座を盛り上げるための“芸者”も多く集まり住むようになりました。
辰巳芸者の始祖
二十四孝見立画合_第八号_老来子(部分)画:楊洲周延(イメージ) パブリックドメインQ:著作権フリー画像素材集より
この「辰巳芸者」の始祖と言われる女性がいます。日本橋の「菊弥」という人気芸者でした。しかしあまりにも評判が良かったため男芸者からの反感を買い、日本橋を離れました。
菊弥は深川八幡宮の辺りに移り住み、1700年頃に料理茶屋を開きます。そのかたわら三味線の師匠として芸者の育成に励みました。菊弥の住まいの周りには「やたらときれいな声がする」と男達が集まったという話もあります。
そして菊弥の料理茶屋は、鰻や牡蠣・蛤などの料理も人気だが、菊弥が美人で三味線もうまく、座持ちがいいとあって店は大評判となりました。
東京(江戸)の芸者のルーツは深川芸者にあるとされていますが、実は幕府非公認の芸者でした。
「辰巳芸者」という江戸最大の深川岡場所の花街に生きた“いき”のいい女たち(後編)へつづきます。
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