夢はでっかく天下一!戦国乱世を闘い抜いた天下七兄弟の武勇伝
「我ら生まれた日は違えども、死ぬ時は必ず同じ日に……」
中国四大伝奇『三国志演義』でお馴染み、劉備三兄弟が桃園の誓いを立てる名ゼリフ。男と男が熱い絆を交わし合う義兄弟の関係は、今も昔もオトコ心を揺さぶってやみません(……よね?)。
義兄弟の契りを交わした劉備たちに、ワクワクしたのは少年時代の筆者だけではないはず。Wikipediaより
そんな絆を求める男たちは日本にもいたようで、生まれも育ちも違うけれど、苦楽を共に乗り越えようと堅い絆を結んだのでした。
今回は戦国時代、互いに武勇を励んで立身出世を誓い合ったという「天下七兄弟」を紹介したいと思います。
天下という割には……?天下七兄弟……随分と大きく出たものですが、そのメンバーは以下の通り(五十音順)。
或説に丹羽山城、谷出羽、笹野才蔵、稲葉内匠、中黒道随、渡辺勘兵衛、辻小作、兄弟の約束して武勇を励み、天下七兄弟と云ひしといふ。
※湯浅常山『常山紀談』より「辻小作中黒道随が事」
一、稲葉内匠(いなば たくみ。稲葉正成)
一、笹野才蔵(ささの さいぞう。可児吉長)
一、谷出羽(たに でわ。谷衛友)
一、辻小作(つじ こさく)
一、中黒道随(なかぐろ どうずい)
一、丹羽山城(にわ やましろ)
一、渡辺勘兵衛(わたなべ かんべゑ。渡辺了)
……ちょっと微妙でしたかね?いやいや、そんな事はありません。
稲葉正成はあの春日局(かすがのつぼね)の元夫で大名(下野国真岡藩主)になっていますし、可児吉長は「笹の才蔵」の二つ名で数々の武勲を立て、谷衛友も大名(丹波国山家藩主)に、渡辺勘兵衛も「槍の勘兵衛」として有名を轟かせました。
残る辻小作、中黒道随、丹羽山城については詳細不明ですが、江戸時代の逸話集『常山紀談(じょうざんきだん)』に、こんなエピソードが伝えられています。
親友同士の一騎討ち!その結末は?辻小作は福島正則に仕へしが、可児才蔵と親しみ深く、共に世に聞えたりし物なり、中黒道随は石田の賓客の如くもてなし置けり、関ヶ原の軍敗れし時、中黒唯一騎落行兵の中に踏止り、さんざんに戦ひけるを辻見ていざ討とらばやといへば、可児なさけなき事をいふもの哉、たすけばやと云辻されは生どれとや、可児に好まれて辞し難しといひすて馳行くところに、中黒馬を深田に打入りて、諸鐙を合わせて更に動かず、辻詞をかけ日頃のよしみに助んずるよ、早く取付けとて槍の鐏(いしずゑ。石突)をさし出す、中黒かゝるきはに命助かりても何にかせんとて、すでに自害すべく見えしかば、辻何とたばかるべきや、神明にかけていつはらじといへば、とりつきたるを辻主従引あげて陣所に帰る、可児見て大に悦びけり、さて辻は物具脱て裸になり、仰に打臥して只今まで敵なりし中黒を物とも思はぬ有様にて物語す、中黒あまりに侮りたるよと心中にいかりけれども命を助けたりし恩を思ひて、さてやみぬと後に中黒此事を語りて笑ひしとなり、中黒後井伊直孝招きて禄二千石あたへられけり……。
※湯浅常山『常山紀談』より「辻小作中黒道随が事」
【意訳】
辻小作は福島正則(ふくしま まさのり)に仕えていたが、可児才蔵(笹野才蔵)と仲が良く、共に武名を轟かせていた。
一方、中黒道随は二人と交流がありながら、石田三成(いしだ みつなり)の客将となっており、関ヶ原の合戦に敗れた際、仲間を先に逃がすためただ一人で踏みとどまって大奮闘している。
それを見た辻小作が中黒道随を討ち取りたいものだと言えば、可児は「何を言うか、あれほど忠義の勇士を討つなどもったいない」と答え、それなら「生け捕りにしよう」と辻小作が一騎討ちを挑んだ。
両雄が闘っていると、中黒道随は馬を深田に乗り入れてしまい、はまり込んで動けなくなってしまう。
「ほら、日ごろのよしみで助けてやるよ」
そう言って辻小作は槍の石突を差し伸ばしてやった。中黒道随は生き恥を晒すまいと自害しかけたが、辻小作が「天地神明にかけて何も偽り(≒騙し討ち、なぶり殺し等)はせぬ」と約束。こうして中黒道随は助けられた。
「おぉ、無事であったか」
可児は中黒道随との再会を喜び、辻小作はよほど疲れたのか、鎧も兜も何もかも脱ぎ捨てて、褌一丁の大文字で眠ってしまう。
これを見て中黒道随は心中怒りに思うよう、
(いくら旧友だからと言って、さっきまで敵だった者の前であまりに無防備な……さても侮られたものだ)
しかしそうは言っても命を助けてくれた恩人でもあるのだから、ここで怒りを露わにしたり、まして寝首を掻いたりしたら、それこそ天下の物笑い。
「まぁ……あの時は怒りを抑えるのに必死だったよ」
と、後に笑い話となったそうな。
ちなみに、中黒道随はその武勇と忠義が井伊直孝(いい なおたか。井伊直政の子)に認められ、二千石で召し抱えられたと言うことである。
終わりに旧友を信じて無防備な姿をさらした辻小作と、その心意気に応えた中黒道随。中黒を助けた辻の見る目は間違ったいなかったようです。
ちなみに残る丹羽山城については、同時代の丹羽一族を調べてみても山城守を名乗っていた者が見つからず、謎のままとなっていますが、今回のように隠れたエピソードの発見が俟たれます。
夢はでっかく天下一。結果を知っている後世からすればそれなり(※とは言うものの、何百、何千石の知行って、充分凄いですけどね)に見えても、若者らしい希望と意欲に満ちあふれた「天下七兄弟」という呼び名に、彼らの雄志が偲ばれます。
※参考文献:
湯浅常山『常山紀談』博文館、1909年9月
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