生き残るより主君への忠義。戦国時代、九州で起きた強烈な激戦「岩屋城の戦い」 (2/2ページ)
島津軍は、高橋紹運に実子を差し出すことを条件として降伏するよう再度提案しますが、紹運はこれも受け入れませんでした。誰もが勝てないとわかっていながら、生き残るより主君である大友宗麟への忠義を選びました。
この姿勢は、敵味方関係なく称賛を浴びたと言われています。最終的に、高橋紹運は自害し、彼の配下全員も討死しました。
岩屋城の戦いが島津氏に与えた影響岩屋城を攻略した島津氏ですが、3,000以上の兵を失ったことでその軍の立て直しに時間がかかり、結果として他の城を攻めることを中止しています。
よって、島津氏が九州を掌握することを防いだ戦いとも言えます。また、その後は豊臣秀吉の九州征伐があり、島津家は降伏。豊臣軍が九州全土を平定するに至りました。
いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも歴史に興味を持つきっかけになれば嬉しいです。
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