よく見かける「盛り塩」に込められた意味は?日本神話に通じる由来も紹介します

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よく見かける「盛り塩」に込められた意味は?日本神話に通じる由来も紹介します

ちょっと洒落たお店の軒先なんかでたまに見かける、ちょこんと盛られた白い三角錐……そう、盛り塩(もりしおorじお)ですね。

美しく整えられたシルエットは不思議と見ていて飽きませんが、アレにはどんな意味があるのでしょうか。あるいは、単なる飾りなのでしょうか。

湿らせて型に入れると、キレイに作れる

今回はそんな盛り塩の由来を紹介したいと思います。

清らかさの象徴として

日本人にとって、塩は昔から祓い清める意味を持っていました。塩は海水から採れるもので、その海は母親にも喩えられる通り、生命を生み出し、やがて還っていく神聖な場所とされたためです。

古くは日本神話の時代、黄泉国(よみのくに、冥界)から生還した伊邪那岐命(イザナギノミコト)が死のケガレ(穢)を祓い清めるため、海水で禊祓(みそぎはらい。心身を洗い清めること)をしています。

日本を生みだした伊邪那岐命(右)と妻の伊邪那美命。Wikipediaより

また身近なところでは、神道の大祓(おおはらえ)として半年に一度、人間の身体についてしまったケガレを海へ流し、それを清めてもらっていますね(水に流す、の語源とも言われています)。

他にもお葬式から帰って来た時など、自分や家族に塩をかけて心身を清めますが、あれは死者の霊が家まで入って来ないように(神道であれば死のケガレを)祓うためにしているのです。

あと、最近はあまり見ませんが、嫌な訪問者を追い返した後に「塩をまいておけ!」などと言うのは、やはり嫌なヤツによって穢されてしまった空間を、再び清めるため。

力士が取組前に塩をまくのも、土俵を清めるため(イメージ)

ところで、盛り塩が三角錐になっているのは、単に盛り上げた時のバランスが最も安定しているのもそうでしょうし、合わせて神様が降り立ち、依り代とする柱を象(かたど)っていると考えられます(そこで神様は一柱、二柱……と数えます)。

神様が降り立つ場所であれば、当然そこは清らかでなくてはなりませんし、清浄を象徴する塩で作られていれば間違いないでしょう。

清らかな塩で盛られた安定感抜群の三角錐。盛り塩はそこが清らかな場所であり、最高の状態でお客様を迎える意思表示のツールとして、現代も人々に愛され続けています。

皇帝の寵愛を狙う美女たち

さて、そんな盛り塩の起源ですが、他にもちょっと面白い説があったのでそちらも紹介しましょう。

今は昔の太康元年(280年)、中国大陸を統一した(しん。西晋)王朝の初代皇帝・司馬炎(しば えん)は、大層な女好きで、後宮(日本で言う大奥)に1万人もの美女を搔き集めました。

晋の司馬炎。Wikipediaより

日本とはスケールが大違いながら、やっぱりそれだけいると、よりどりみどり過ぎて今夜のお相手を選ぶだけで一苦労です。

そこで、めんどくさくなった司馬炎は自分で美女を選ばず、羊に曳かせた車に乗って広々とした後宮を巡回、羊が止まったところの美女を指名するようにしました。

どうせ誰を選んだってハズレはないのですから、羊の気まぐれに任せれば新鮮味があってよかろう……とでも思って始めたところ、頭のよい美女が、自室の前に竹の葉と塩を用意したのです。

羊が好物の竹の葉を食べ、また塩をなめるために歩みを止めれば、皇帝が自分を指名してくれる……果たして作戦が成功したのか、これにあやからぬ手はないと美女たちは次々に竹の葉と塩を用意するようになり、これが盛り塩の起源とする説もあります。

そう言えば、盛り塩の器に竹の葉を敷いてあることもあり、塩の白を引き立ててオシャレ感を高めていますね。

終わりに

ちなみに、この話にはオチがあって、あまりにみんながみんな盛り塩をするものだから、その小賢しさに嫌気が差してしまったのか、司馬炎は盛り塩をしなかった胡芳(こ ほう。胡貴嬪)が最も寵愛されたそうです。

清らかさを象徴する塩は、真心から相手を歓迎し、もてなすためにこそ盛りたいものですね。

※参考文献:

神社本庁教学研究所 監修『神道いろは 神社とまつりの基礎知識』神社新報社、2004年2月 内藤湖南『支那史学史1』平凡社、1992年11月

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