高杉晋作や樋口一葉、沖田総司など数多くの歴史上の人物を苦しめた感染症「労咳(ろうがい)」

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高杉晋作や樋口一葉、沖田総司など数多くの歴史上の人物を苦しめた感染症「労咳(ろうがい)」

みなさんは、労咳(ろうがい)という言葉を聞いたことがありますか?

これは、現代でいうところの結核で、日本では明治時代初期ごろまで呼ばれていた名前です。

今では結核という言葉も頻繁に耳にすることは少なくなりましたが、労咳と呼ばれていた当時の日本では、たいへんな病気でした。そこで今回は、そんな労咳について詳しくご紹介したいと思います。

労咳とは?

労咳(ろうがい)は、現在でいうところの肺結核です。労咳とは、結核菌による肺の感染症で、主に空気感染をします。ちなみに、ヨーロッパでも「白いペスト」という名前で恐れられました。

土佐光起筆『源氏物語画帖』より

労咳の記述は古くから見られ、平安時代の『枕草子』や『源氏物語』などにもその描写があります。古くからある病気ではあるものの、治療薬は20世紀なかばにならないと発見されませんでした。

世界に目を向けると、結核の流行は産業革命と密接な関係があり、例えば18世紀後半のイギリスでは、産業革命とともに結核が流行しました。

日本でも、江戸時代ころから流行を見せますが、「国民病」となるまで大流行したのは、明治以降に産業が発展してからのことでした。主に工場や軍を通じて感染が広がったといいます。

労咳に苦しめられた有名人

高杉晋作

労咳に苦しめられた歴史上の人物の数は多く、高杉晋作や樋口一葉、中原中也、正岡子規、森鷗外などが肺結核で亡くなっています。

また、新選組の中心メンバーであり、現代でも人気の高い沖田総司(おきたそうじ)も労咳の脅威に襲われました。

ちなみに、1864年に起きた池田屋事件では、戦っている途中に喀血するというシーンが有名だと思いますが、これは実際のところは労咳の症状がひどくなったのではなく、熱中症のようなものだったのではないかと言われています。

労咳と文学

国民病とも呼ばれ、死病としても恐れられた労咳は、文学にもたびたび登場します。

明治31(1898)年に『国民新聞』に連載され、のちに出版された『不如帰』や、堀辰雄の『風立ちぬ』、さらには正岡子規の随筆である『病牀六尺』などです。

いかがでしたか?古くは労咳と呼ばれた肺結核ですが、現在でも、この病気が消えたわけではありません。

この記事が、みなさんが少しでも歴史に興味を持つきっかけになれば嬉しいです。

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