名前、言える?江戸時代、幕末に活躍した4人の大名「幕末の四賢侯(しけんこう)」とは? (2/2ページ)

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ここで、福岡藩黒田長溥(重豪の子)が、伊達宗城や松平春嶽と一緒に幕府の老中・阿部正弘にかけあい、結果として将軍の力で斉興は隠居となり、斉彬がようやく藩主となることができました。

ここで、島津斉彬・伊達宗城・松平春嶽の三人が結びつきます。

また、土佐藩の山内氏の継承問題に関しても、島津斉彬・伊達宗城、・松平春嶽が仲介役となります。山内家では、13代藩主の山内豊熈(とよてる)が34歳で急死してしまい、弟の豊惇(とよあつ)が跡継ぎとなりました。

しかし、幕府に豊惇が認められた直後、彼も急死してしまします。残されたのは豊惇の弟だけでしたが、彼も当時3歳という若さだったため、お家断絶の危機に陥ります。

そこで、島津斉彬・伊達宗城、・松平春嶽らが阿部正弘にかけあい、分家の豊信(とよしげ:のちの山内容堂)が22歳で藩主に就任することになりました。

ここで、四賢侯の4人が結びつくことになります。

井伊直弼との対立

井伊直弼

その後四賢侯は将軍後継者問題で井伊直弼と対立しますが、島津斉彬が井伊と対峙する計画を立てますが、途中急死してしまいます。

他の3人には隠居と蟄居の処罰が下されます。桜田門外の変で井伊直弼が亡くなると、3人も幕政に復帰しています。

いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも歴史に興味を持つきっかけになれば嬉しいです!

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