「ディストピアの一里塚」行き過ぎたポリコレの向かう先 (2/2ページ)

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その選手たちの記録は「男子選手」としては平凡だが、それでも女子の中に入るとトップになる。オリンピック重量挙げもこのケースも、ポリコレ的にはこれでいいのかもしれないが、正しさや平等さと引き換えに公平さが失われている。これは極端な例かもしれないが、アメリカのスポーツ界ではこういった事例が珍しくなくなってきているという。いずれも割を食うのはトランスジェンダーではない女性選手たちだ。

「he」と「she」を言い間違えただけでクビになる高校教師。
「性犯罪にまつわるワードをつかわれるのが精神的に耐えられない」という訴えを受けて、性犯罪関連の法律の授業が成り立たないロースクール。

本書で取り上げられているのは主にアメリカの事例だが、日本にとっても対岸の火事ではない。ポリコレが話題になる時は「社会的に弱い者が正しさを武器に強いものに立ち向かう」構図になるため、訴えを受ける方は腰が引ける。対抗勢力がないため、「どこまでやるべきか」「どんなことなら主張していいか」という線引きは抗議者側に委ねられる。この先にあるのは無限の過激化と拡大解釈、というのは自由な発言が許される国ではどこでも同じだろう。

「本当にこれでいいのだろうか?」
行き過ぎたポリコレに違和感を持っているなら、本書はその違和感の正体を教えてくれるはずだ。

(新刊JP編集部)

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