カネが欲しいのか、命が欲しいのか?江戸時代、強盗を改心させた七里禅師のエピソード
もし皆さんの家に強盗が入ったら、どうしますか?
出来れば何も奪わず壊さず、そして誰も傷つけずに出ていって欲しいものですが、それなら最初から強盗なんて企てません。
で、色んな対処が考えられると思いますが、今回は江戸時代末期から明治時代にかけて活躍した七里禅師(しちりぜんじ。七里恒順)のエピソードを紹介。
強盗に対する彼の態度は、少しユニークなものだったようです。
七里禅師のプロフィール七里禅師はその法名を恒順(こうじゅん)と言い、天保6年(1835年)8月5日、現代の新潟県長岡市にある浄土真宗の本願寺派明鏡寺で生まれました。
※禅師(ぜんじ)とはもともと禅僧に対する敬称でしたが、禅宗以外の僧侶に用いることもあります。
弘化2年(1845年)に11歳で出家、博多の萬行寺に入って研鑽を重ね、やがて寺を代表する名僧として成長しました。
本願寺派における最高学位である勧学の授与を打診されるもこれを辞退し、偉ぶることなく私塾を開いて子供たちに学問を教えるなど、広く敬愛された人格者だったそうです。
そして明治33年(1900年)に66歳で世を去りますが、死後に勧学の位を追贈されたのでした。
……とまぁ、そんな七里禅師がある晩、勤行に励んでいると……。
人からモノを貰ったら……「おい、命が惜しけりゃカネを出しな」
闇の中から現れたのは一人の強盗。出刃包丁を突きつけて七里禅師に凄みます。
ここで常人なら悲鳴を上げるなり、逃げ出すなり、あるいは咄嗟の反応でつかみかかるなりするのでしょうが、七里禅師はどこ吹く風。
「お前さんは、カネが欲しいのか。それともわしの命が欲しいのか」
まるで爪楊枝でも眺めるような目つきの七里禅師に、強盗は眦(まなじり)を釣り上げました。
「カネに決まってるだろ!さっさとよこせ、殺すぞ!」
ぐいと突き出された刃先を眺めると、七里禅師は重ねて尋ねます。
「カネならくれてやらんでもないが、カネをもらって何を買うんじゃ」
「何だっていいだろ!早く出せ!」
強盗は苛立って出刃包丁を突き出しますが、顔色一つ変えない七里禅師が少し薄気味悪くなり、「実は、ガキの病気で薬代が要るんだ」と洩らします。
すると七里禅師は奥の戸棚を指さして、
「何じゃ、そういうことならそこの戸棚にあるから、必要なだけ持っていけ」
「お、話の解る坊主だな」
あっさり要求が通って少しホッとしたのか、強盗はいそいそと戸棚を物色。確かに、銭の包みがありました。
「ただ、わしも一文無しでは米が買えぬから、少し残しておいとくれよ」
「あいよ」
カネさえ手に入ればもう用はない……足早に立ち去ろうとする強盗を、七里禅師が呼び止めます。
「それともう一つ」
「ん?何だよ、注文の多い坊主だな」
そんな強盗の態度を、七里禅師はピシャリと叱りました。
「人からモノを貰っておいて、その態度は何じゃ。お礼くらい言いなさい!」
まさかこの歳になって他人から叱られるなんて思ってもみなかった強盗は、意外と素直に謝ります。
「はい、すいません。えーと、ありがとう」
「ございます、は?」
「はい、ございます」
「よろしい。気をつけて帰るんじゃぞ。お子さんにもよろしくな」
「へい」
こうして強盗はカネを貰い、世闇の中へと逃げて行ったのでした。
エピローグ……その数日後、強盗が捕まったということで、役人に引っ立てられながら寺へ戻ってきました。
「この者がこちらで強盗を働いたでしょう」
役人が強盗から没収したカネを見せると、七里禅師は首を振って答えます。
「いいや、このカネはわしがこの男にやったもので、この男もきちんとお礼を言いましたぞ。強盗などしておりませぬ」
これを聞いた強盗は自分にここまで情けをかけてくれた七里禅師に心から罪を詫び、釈放された後に弟子入りしたのでした。
どんな悪人だって、生まれた瞬間から悪人だった者は一人もおらず、皆どこかで信頼と愛情に飢えているもの。
なかなかこうまでは行かなくても(実際それどころじゃないでしょうし)、みんなが少しずつ優しく真心で接すれば、この荒んだ世の中も少しずつよくなっていくかも知れませんね。
※参考文献:
野末陳平 監修『マンガ 禅の思想』講談社+α文庫、1999年4月日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan