任務は将軍や大名のお話し相手!戦国時代から存在した役職「御伽衆(おとぎしゅう)」とは?

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任務は将軍や大名のお話し相手!戦国時代から存在した役職「御伽衆(おとぎしゅう)」とは?

みなさんは「御伽衆(おとぎしゅう)」と呼ばれた人々の存在を知っていますか?

なかなか学校の歴史では学ばない内容かもしれませんが、実は落語や豊臣秀吉など、有名な文化や人と関係がありました。

そこで、今回の記事では、そんな御伽衆(おとぎしゅう)について詳しくご紹介したいと思います。

御伽衆(おとぎしゅう)とは?

御伽衆は、室町時代後半から江戸時代初期に活躍した、将軍や大名のそばに仕え、相手をする役割の人々です。

主な仕事内容は、主君の話し相手となること、自己の経験談をしたり、書物の講釈などを行いました。

秀吉の御伽衆だった織田信包

例えば、主君が源平合戦の話を聞きたいということであれば、歴史に詳しい御伽衆が呼ばれたり、源氏物語の話を聞きたいということであれば、古典文学に詳しい御伽衆を呼ばれたりして、主君が教養を身につけるお手伝いをしていました。

現代でいうところの、テレビやラジオのような役割を担っていたのではないでしょうか。

彼らは、御咄衆(おはなししゆう)、相伴衆(そうばんしゅう)などと呼ばれることもありますし、江戸時代になると談判衆(だんぱんしゅう)、安西衆(あんざいしゅう)などと呼ばれるようになりました。

豊臣秀吉と御伽衆

豊臣秀吉

戦国大名はそれぞれに御伽衆がいましたが、その数は通常3~10人ほど。しかし、なかには多くの御伽衆を抱えた人物もおり、例えば武田信玄には12人、豊臣秀吉にはなんと800人の御伽衆がいたそうです。

豊臣秀吉の御伽衆には、元将軍や女池の武士、僧侶、さらには茶人にいたるまで、非常に多様な人々が揃えられていました。

御伽衆は、多くの知識や知見がなくては務まらない役割ですので、こういった有能な人々が集められていたのではないでしょうか。

落語と御伽衆

主君の話し相手となる御伽衆ですが、意外にも落語と関係がありました。

というのも、戦国時代までと異なり、江戸時代になると、御伽衆の役割も少しずつ変わってきたからです。情報を伝えるよりも、おもしろい話をする役割が求められるようになりました。

そして、彼らが参考にしたのが、『醒睡笑』というもの。これは、豊臣秀吉の御伽衆であった、安楽庵策伝(あんらくあん さくでん)という人が残したユーモア集で、彼は落語家の元祖ともいわれています。

いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも歴史に興味を持つきっかけになれば嬉しいです!

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