あの徳川埋蔵金にも関与!?明治政府に危険視され消された「小栗忠順」という天才 (2/2ページ)

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成長するにつれ、才能を発揮しだしたそうです。

小栗はのちに、西洋式火薬工場や横須賀製鉄所の建設、そのほか兵庫商社を設立。現代社会では当たり前になっている社内教育、雇用規則、残業手当、簿記、人事労務管理などを取り入れ、近代化への礎を作りました。

こういった活躍から幕府の財政責任者に任命され、勘定奉行となったのです。

危険視された天才

小栗は大政奉還後、新政府軍(明治政府)と旧幕府軍(江戸幕府)との間で起こった鳥羽伏見の戦いで、最後まで徹底抗戦の構えをとっています。このとき小栗は、「相手の後続を砲撃で足止めし、箱根で孤立した相手を殲滅する」という作戦を立てていました。

結局、実行されることはありませんでしたが、もしこの作戦が実行されていれば新政府軍は殲滅され、旧幕府軍が巻き返した可能性があります。

戦いのあとで忠順の作戦を知った明治政府側は、「もしその作戦が実行されていれば、我々は全滅していた」とも語っています。

斬首された小栗忠順

鳥羽伏見の戦いのあと、小栗は上野の群馬郡権田村へと移り住み隠居生活を送っていた小栗でしたが、幕府御用金の捜査にやってきた明治政府に捕らえられてしまいます。

そしてその2日後には、ろくな取り調べもされないまま斬首されてしまいました。

斬首された理由については明らかにされていませんが、ひとつの説として「江戸幕府の再興を目論んでいる可能性や、鳥羽伏見の戦いでの戦術ぶりが危険視された」と言う説があります。

また、幕府御用金について一切情報を漏らさなかったといいますから、そういったことが癇に障ったのかもしれません。

徳川埋蔵金の行方

結局、徳川埋蔵金の行方は不明のままです。しかし、江戸幕府の財政責任者である小栗忠順は、本当に何も知らなかったのでしょうか。

もしかしたら、小栗忠順の歴史や資料を調べていけば、徳川埋蔵金について何らかのヒントを得られるかもしれませんね。

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