土地管理、税金徴収の権限も。女性の社会進出が盛んになった鎌倉時代の社会 (2/2ページ)

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12世紀頃に描かれた『病草紙』という絵巻物の一部には、「肥満借上」という女性の高利貸しの姿が確認できます。

「肥満借上」『病草紙』断簡

また、鎌倉幕府は各地の荘園を管理支配するために、土地の管理・租税の徴収・検断(警察権・裁判権)などの権限を持った「地頭」を設置しますが、女性もこの地頭職に就いていました。

女性が地頭職をした最古の記録は、下野国の豪族、八田宗綱の娘である寒河尼(さむかわのあま)が下野国寒河郡と阿志土郷の地頭職に任ぜられたというものです。『皆川文書』所収、頼朝袖判下文によれば、「これ女性なりと雖も大功有るやに依り・・・(女性であっても大きな功績を果たしたことに依り・・・)」とあります。

寒河尼は、頼朝の乳母で、頼朝の挙兵時や野木宮合戦で朝光とともに活躍したとされています。

その他にも、頼朝の伯母にあたる熊野鳥居禅尼や、草創期の鎌倉幕府に貢献した梶原景隆の妻も地頭職についており、全国各地の地頭の名前を記した記録には、「女」「室」「局」「妹」「母」といったものも多く見られます。

平安時代までの主流であった夫が妻の家に通う形式の「通い婚」ではなく、嫁入り婚が定着し、女性が家庭に入ったことによって、家庭内での女性の地位が高まり、家庭の統括権が女性に委ねられるなっていったことが、女性の社会的地位が向上した要因の一つと考えることが出来るようです。

ちなみにこの時代、嫁ぎ先の夫の両親と一緒に暮らすという風習も一般化していなかったため、女性は、姑や舅といった夫側の家族に気兼ねする必要も無かったようです。

トップ画像: 板額御前 – 『芳年武者无類 阪額女』月岡芳年 画

参考

田端泰子『日本中世の女性』( 1987 吉川弘文館) 慈円『愚管抄』

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