フランス革命は江戸時代の浅間山大噴火が原因だった!?大規模噴火は地球規模で影響 (2/3ページ)

Japaaan

火山灰や軽石の降下も激しく、軽井沢宿では約1.2mの軽石が積もり、家屋がつぶれたり火石による火災の被害が出ました。

北麓では8月4日に吾妻火砕流、5日には鎌原火砕流が発生。後者は鎌原村を埋没させて吾妻川の谷に流れ込み、決壊して流域に大きな被害を及ぼします。

鎌原村の住民は 597人中466人が死亡。今は存在しない観音堂という高台に駆け登った者が助かったそうです。昭和54年の発掘調査で、観音堂の石段の下を掘り返すと若い女性が高齢女性を背負っていたと思われる二体の遺骨が出てきて、あと僅か石段を上れば助かったはず…と関係者の涙を誘ったとか。

鎌原火砕流に引き続いて鬼押出溶岩流が流出し、噴火活動は終了します。現在は「鬼押出園」という観光地として、溶岩台地を直接歩くことができます。名前は、火口で鬼が暴れて岩を押し出したという人々の印象から名付けられました。

大噴火の鳴動は「西は京都、大阪、北は佐渡ヶ島、蝦夷松前、東は八丈、三宅島」まで届いたといいます。噴煙は空高く舞い上がり、成層圏に到達。北半球を覆い、気温を年間1.3度下げたと言われています。特に噴火のあった年は、8月24日(旧暦)には雪が降るという異常気象を起こしました。

寒冷被害はその後4年間にわたって各地に飢饉を続発させ、餓死者20万人の被害といわれる「天明の大飢饉」を引き起こす一因となります。そのときの失策で、権勢を誇った時の老中・田沼意次は民衆の怒りをかい失脚することとなりました。

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