平氏の誇る圧倒的な軍事力。源頼朝が創った鎌倉幕府は平清盛のアイデアを一部踏襲? (2/2ページ)

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「荘園」は大規模な脱税システムだった!?平安貴族はいかにして私腹を肥やしたのか

その勢力は、左大臣・藤原頼長がその日記『台記』いおいて、「数国の吏を経、富百万を累ね、奴僕国に満ち、武威人にすぐ」(数か国の受領を歴任し、膨大な富を築きあげ、つき従う者は国中にあふれ、武人としての力量は抜きんでている)と書き示すほどだったといいます。

このように、平家が力をつけていった背景には、圧倒的な軍事力と財力があったことによります。貴族間の争いを武士が解決するという事例が繰り返されていくうちに、武士は次第にその地位や経済力を向上させ、しだいに上流貴族を脅かす存在になっていったのです。

平氏台頭の契機といわれる1156年の保元の乱、1159年の平治の乱で貴族たちが見せつけられたのは、平氏の誇る圧倒的な軍事力でした。清盛の朝廷における栄達を支えたのも、その軍事力だったことは否めません。

強大な軍事力を背景に、清盛は天下人となりました。このことから、平氏政権が頼朝の確立した鎌倉政権に先立つ武家政権だったのではないかという見方が強くなってきました。

それだけではありません。清盛は自分の権勢を保持するために支配地域である知行国に存在する武力集団を武士として組織化し、それを統率するために「国守護人」という、これまでの貴族政治ではなかった役職を置いています。

また、荘園を警備するとともに租税徴収などの役目をもたせた「地頭」を新設したのも清盛でした。

このようにして清盛は、全国的に武力集団を統率下に置こうとしたのでした。

平氏を滅ぼして為政者となった頼朝は、清盛が考案したこの「国守護人」と「地頭」の制度を参考に「守護」「地頭」を設置し、領地を安堵するという封建制度に基づいた政権を確立させたといわれています。

参考

高橋 昌明『平家と六波羅幕府』(2013 東京大学出版会)

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