【鎌倉殿の13人】殺しても構わぬ…石橋山で討たれた息子の仇の身柄を預かった岡崎義実の決断

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【鎌倉殿の13人】殺しても構わぬ…石橋山で討たれた息子の仇の身柄を預かった岡崎義実の決断

令和4年(2022年)NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で活躍中(第8回時点)の岡崎義実(おかざき よしざね)

たかお鷹さんが好演するこの老将は、累代の家人として源頼朝(演:大泉洋)公の挙兵に逸早く馳せ参じた忠臣でした。

岡崎 義実 (平四郎) 鎌倉殿の13人 公式ページより

しかし石橋山の戦いに敗れた折、嫡男の佐奈田与一義忠(さなだ よいちよしただ)を討ち取られてしまいます。

その後、勢力を巻き返した頼朝の元へ、与一の仇である長尾新六定景(ながお しんろくさだかげ)が降伏。

「しばし預かれ。好きにして(何なら殺しても)構わぬ」

頼朝公の命を受けた義実は、処断が下されるまでの間、新六の身柄をしばし預かることとなったのでした。

与一を討った新六との対面

「……そなたが新六か」

「ははあ」

義実の面前に引き出された新六は、神妙な面持ちで対峙しました。

「与一が最期は、いかがであったか」

……石橋山の戦いでは圧倒的劣勢にも怯むことなく決死の奮戦。平家方の猛将・俣野平五郎景久(またの へいごろうかげひさ。大庭景親の弟)に一騎討ちを挑みます。

組討つ真田与一能久(佐奈田義忠。中央)と俣野五郎景久(右)、その背後から義忠を狙う長尾定景。歌川国芳筆

闇夜の中で与一と景久が組んず解れつしていたところ、新六の兄である長尾新五為宗(しんごためむね)が与一を羽交い締めにし、新六が首を刎ねたのでした。

「与一殿が戦さぶり、まこと立派にございました」

「左様か……もうよい。沙汰を待て」

「ははあ」

さて、どうしたものでしょうか。

与一のためにこそ、新六を赦す

しばらく考えた義実でしたが、新六の処刑を思いとどまる事にしました。

岡崎へ来てから毎日々々、神妙に法華経を唱える新六の姿を見て、心打たれるものを感じたのです。

「見ればかの新六めは、与一と概ね同じ年ごろ。信心深い若者を殺しては、与一の成仏に障りが出るやも知れぬ」

また、自分が我が子を討たれて悲しむように、敵にだって(生死はともかく)親はいるはず。

佐奈田義忠が葬られた与一塚(神奈川県小田原市・佐奈田霊社境内)。Wikipediaより(撮影:立花左近氏)

親の怨みが子の成仏を妨げてはならないと考えたのか、義実は新六を助命するよう、頼朝公に嘆願しました。

「かの長尾新六めを、お赦し頂けますまいか」

「ほう。別に構わぬが、その意(こころ)は」

確かに憎い仇ではあるものの、義忠ほどの豪傑を討ち取った勇士なれば、必ずやお役に立ちましょうとか云々。

「相分かった。悪四郎(義実)が忠義、褒めてつかわす」

かくして新六は兄の新五ともども赦され、三浦一族の郎党として武勇を奮います。

エピローグ

その後、定景は30年以上にわたって頼朝・頼家・実朝の源家三代に仕えました。

こと実朝が暗殺された時などは息子の長尾平太郎景茂(かげしげ)、同じく長尾平次郎胤景(たねかげ)と先登(せんど。一番乗り)を争って犯人の公暁(くぎょう)を討ち取る武勲を立てています。

「生かしておけば、必ずやお役に立ちましょう」

息子を討たれた怨みを呑み、広い心で赦してくれた義実の期待に、定景は全力で応えたのでした。

そんな定景は死後、長尾の所領(現:横浜市栄区)に葬られましたが、昭和になって鎌倉の久成寺(日蓮宗)に改葬。

鎌倉・久成寺に改葬された長尾定景ら一族の墓。筆者撮影

定景の子孫はやがて越後国(現:新潟県)へ移り住み、越後の龍と恐れられた戦国大名・長尾景虎(上杉謙信)を輩出しています。

それもかつて義実が怨みを捨てたればこそであり、彼の決断が日本の歴史を大きく変えたと言えるのかも知れませんね。

※参考文献:

上杉和彦『戦争の日本史6 源平の争乱』吉川弘文館、2007年2月 野口実『源氏と坂東武士』吉川弘文館、2007年6月 栄区地域振興課『栄区郷土史ハンドブック』横浜市、2015年3月

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