第二次世界大戦中の「東京大空襲」から77年。今こそ過去の戦争を知ろう

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第二次世界大戦中の「東京大空襲」から77年。今こそ過去の戦争を知ろう

Japaaan読者の皆さんこんにちは。ライターの小山桜子です。今回の内容は第二次世界大戦中の昭和20年3月10日に起きた東京大空襲です。

今、隣国ロシアによるウクライナ侵攻が連日報道される中で、日本にとっても「戦争」は歴史ではなく、未来にもなりうるという現実が改めて突きつけられています。死者数の規模に関わらず、無差別に奪われていい「いのち」など一つとしてない。

今回はその事を今一度胸に刻むために過去の戦争を振り返ります。

東京大空襲とは

一般に「東京大空襲」とは、昭和20年3月10日の東京夜間空襲を指します。同日の深夜0時過ぎ、約300機のB29爆撃機が東京上空に飛来し、 現在の江東区・墨田区・台東区を中心に、千代田区や江戸川区も含む広範囲に向けて約2時間で33万発以上の焼夷弾を投下したのです。

Wikipediaより「恵比寿で焼け野原の上のバラック小屋に住む親子

東京を襲った100回以上の空襲

この3月10日の空襲だけで、死者数は10万人以上、罹災者は100万人を超えました。しかしその東京大空襲のみならず、東京都は昭和19年11月24日から昭和20年8月15日まで100回以上の空襲を受けました。

その中でもこの昭和20年の3月10日の東京大空襲を皮切りに5月末まで断続的に続いた5回の空襲は特に大規模なものでした。

東京大空襲が行われた背景

そもそも東京への空襲を含む本格的な日本本土への空襲は、1944年夏にアメリカ軍のマリアナ諸島を占領された事によって始まりました。

アメリカ軍の爆撃機B-29が焼夷弾を積んで日本本土まで飛んで来れるようになったのです。

民意によって開戦された事実

これは裏を返せば、日清日露含め太平洋戦争後期までは民間人への空襲はなかったという事を示しています。

多くの国民は、戦争によって目の前で自分の家や近所の人々や自分の命が失われる未来など予想もしていませんでした。だからこそ、当時の日本世論は太平洋戦争開戦を支持したのです。

今では考えられない事ですが、当時は国益のために開戦を支持した日本国民が多数派でした。たとえそれが政治による選択であったとしても、国民がそういう政治を選んでしまったのは事実なのです。

国民一人一人が戦争の実体を見つめよう

国民が戦争の残虐性を知らなければ、利益に目が眩み、誤った道に進んでしまう事もあるでしょう。権力のある人間でなくても、世論が多数派になれば良い方にも悪い方にも路線変更させる力を持つのです。

国民一人一人が過去に起きた事と現在起きている事を注意深く見つめ、未来の平和は自分達の手に委ねられている事を胸に刻む必要があります。

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