無念の最期…戦国時代、無双の学者とまで呼ばれた悲劇の天才知将・太田道灌 (2/3ページ)
「五山無双の学者」とまで呼ばれていました。
また、彼の名前を聞いて、まず多くの人が思い浮かべるのが「江戸城を建城した」ということではないでしょうか。
そう、のちに築城名人と言われるほどに、道灌は築城を得意としていました。
それだけではなく、彼は戦場でも多くの策を編み出しています。
戦のイメージといえば、大将同士の一騎打ちが一番に頭に浮かびますが、当時も騎乗している武将がお互いに名乗りあいをして一騎打ち、あるいは合戦をするというやり方が一般的でした。
それを、道灌は変えてしまうのです。
一騎打ちが主流の戦い方だと、足軽は大将の一騎打ちをサポートするという役回りになります。
そこに目を付けた道灌は、足軽のみで部隊を編成し、騎乗している相手の武将を囲んで、引き倒すなどして戦う方法へと変えたのです。
一騎打ちは源平合戦から続いていた戦法ですが、それを彼が様変わりさせたと言われています。
悲劇の暗殺、無念の最期このように、学問や戦術など様々な分野での才能を持ち合わせていた太田道灌。彼の名はたちまち世に知れ渡ります。
道灌が家臣として仕えていた扇谷上杉家の勢力はますます増えていきました。
しかし、戦国時代は家同士の争いも多い時代でした。山内上杉家は、扇谷上杉家が栄えるのをよしとせず、太田道灌を失脚させようと企みます。