参勤交代の弊害は「都会っ子」を生み出したことだった!?昔からあった都会/田舎の軋轢 (2/3ページ)
藤堂様御国入行列附版画/伊賀文化産業協会蔵(wikipediaより)
まず、参勤交代が義務となったばかりの初期の頃は、藩主が江戸と国許を行ったり来たりして、妻子は江戸に置いておくことになっていました。
しかしその後は、今までは江戸にいた「子」つまりお世継ぎも、家督を継いで参勤交代を行うことになります。
この場合、このお世継ぎの生まれ育った故郷、国許は江戸になるわけです。そして本来、国許に当たるはずの領地の方が、逆に単なる「訪問先」「赴任先」のようになります。
「都会っ子」に対する領民の反感つまり、藩主の世継ぎとして育てられた子は、実際に育っているのは江戸であるため、自分の「お国」を知らずに江戸生まれ江戸育ちの都会っ子になってしまうわけです。
そのため、世代交代が進むと、藩主よりも家老のほうが国許の藩政に詳しいという状況が多くの藩で生まれてしまいました。
その国の「お殿様」であるにも関わらず、実際にその地で育っていないので地域のこともよく分からず、しっかりとした統制も取ってくれない。そんな藩主に、国許の領民たちはどう思ったでしょう。
さらに反感を買う背景として、費用の問題があります。
参勤交代の費用は、基本的に自腹でした。しかし大名にとっては自分の威厳を発揮できる一大行事だったこともあり、相当な費用をかけており、後年になると、多くのお供を連れ立って自分の権力を誇示する行事のように行われています。
いわゆる「大名行列」ですね。
もちろん、行列の人数が増えれば増えるほど、参勤交代にかかる費用は膨大になります。