歴史書で捏造された冤罪。武田家の重臣・長坂光堅は本当に極悪人だったのか?【前編】

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歴史書で捏造された冤罪。武田家の重臣・長坂光堅は本当に極悪人だったのか?【前編】

歴史書の「ストーリー」

昔の歴史の記録書は、正確さに欠けるどころか、いかにウソを書くかに重きを置いていたと言っても過言ではありません。ウソと言っては語弊があるので、誰が正義で誰が悪なのかというストーリーの方に重きが置かれていたと言っておきましょう。

しかも、後世から見れば矛盾だらけ、他の史料との整合性もなくバレバレなのに、堂々と記述していることもよくあります。まるでキン肉マンです。当時の歴史感覚は、今の時代からは想像もつかないところがありますね。

それ自体は、いいとか悪いとか言えるものではありません。それが当時の歴史記述の常識だったからです。

ただ、後世の歴史家がそれに無自覚だった上に、「記録書」と「お話」を一緒くたにして把握してしまったため歴史や人物像が歪められ、現代のように実証主義的な歴史研究が当たり前になった時代の研究者や学者は非常に苦労することになりました。

例えば、歴史上の「悪人」として有名な松永久秀や弓削道鏡などがそうですね。彼らは俗説のレベルでは未だに極悪人扱いですが、たぶん今、まともな研究者でそれを信じている人はいないでしょう。彼らの悪評はおおむね創作です。

それでも、上述の2人のような有名人であれば、いずれは誰かがメスを入れて、その悪評の信憑性を検証するからいい方です。目立たない、比較的地味な人物だとあまり気にもとめられず、いつまでも悪人のイメージが払しょくできないケースもあります。

その実例のひとつが長坂光堅(ながさか・みつかた)です。

武将としての実績

皆さんはご存じでしょうか? 武田信玄の息子である武田勝頼の重臣で、史料上では相当評判の良くない人物です。

今回は、そんな彼の悪評がどこまで本当なのかを考えてみたいと思います。

まずは、彼の戦国武将としての実績を見ていきましょう。

光堅は、永正10年(1513年)に武田信虎(武田信玄の父)の家臣・長坂昌房の子として生まれました。実名は長坂虎房というのですが、後に光堅と改名しています。

光堅の名前が初めて登場するのは、武田信玄の信濃侵攻の記録です。この時の彼は足軽大将で、諏訪郡代である板垣信方を補佐する役割でした。当時光堅は31歳。

しかし天文17年(1548年)に上田原の戦いで信方が戦死すると、諏訪郡代の後任として上原城(現:長野県茅野市)に派遣されます。ちなみにこの上田原の戦いは、武田信玄の数少ない痛恨の敗戦の一つです。

上田原の戦いで戦死した板垣信方(Wikipediaより)

また、その翌年の天文18年(1549年)には高島城(現:長野県諏訪市)へ入城し、諏訪統治の新拠点を任されました。

その後も、越後の上杉氏との抗争が激しくなると北信濃国衆・香坂氏の取り込みを図ったり、外交面でも遠江の国衆・天野景泰のところへも赴き、本願寺との交渉も任されています。

さらに第三次川中島の戦いでは日向虎頭と共に北信地域の探索を命じられたりするなど、重用されています。また三枝虎吉、室住虎光と共に行政官の仕事もしています。

武田勝頼にも重用される

永禄2年(1559年)に信玄が出家すると、光堅も共に出家しました。この出家とあわせて、長坂釣閑斎と名を改めています。もしかすると、長坂光堅よりもこの釣閑斎という出家名の方が有名かも知れませんが、ここでは長坂光堅という名前で通します。

永禄5年(1562年)に、信玄の息子である武田勝頼が高遠城主になると、光堅はこのことを義信へ伝える使者を務めました。

武田勝頼(Wikipediaより)

光堅は勝頼とも関係が深く、元亀4年(1573年)の信玄没後も、勝頼に行政官として重用されています。

経歴を見ると、光堅がその才覚を認められたのは年齢的にだいぶ後のことです。ただ、信虎・信玄のたった二代で甲斐の統一から信濃・上野・駿河への勢力拡大までを果たした武田家にとって、代々仕えており実績のある家臣は貴重だったのでしょう。

また、詳細を書くと煩雑になるので割愛しますが、一般的には武田勝頼は武田家の後継者とされていますが、正確にはそうではありません。

正式な後継者は信玄の孫で、勝頼は「後見人」です。この、勝頼の微妙な立場が武田家の結束を弱める結果になるのですが、そんな立場の勝頼をサポートしてくれる光堅のような存在はありがたかったことでしょう。

さて、このように武田家二代に渡って重用され、重職にも就いてきた光堅ですが、彼の「悪評」にはどのようなものがあるのかを【後編】で見ていきましょう。

参考資料
ほのぼの日本史

 

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