歴史書で捏造された冤罪。武田家の重臣・長坂光堅は本当に極悪人だったのか?【後編】

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歴史書で捏造された冤罪。武田家の重臣・長坂光堅は本当に極悪人だったのか?【後編】

敗戦責任・援助資金の横領?

【前編】では、長坂光堅という人の経歴や実績について説明しました。そんな彼の、現代に語り継がれる「悪評」とその真偽について見ていきましょう。

前編の記事はこちら

歴史書で捏造された冤罪。武田家の重臣・長坂光堅は本当に極悪人だったのか?【前編】

まずは天正3年(1575年)の長篠の戦いについての悪評です。ご存じ、織田・徳川の連合軍と武田の軍勢による歴史的な戦闘ですが、武田氏の戦略・戦術を記した軍学書『甲陽軍鑑』によると、この時の武田方の惨敗の原因を作ったのが光堅だというのです。

長篠合戦図屏風(長浜市立長浜城歴史博物館蔵・1750頃~1850頃)(Wikipediaより)

それによると、彼は、武田方の宿老たちが「撤退」を進言したのに、逆に攻撃するように進言したそうです。

しかしこれについては、光堅にはアリバイがあります。長篠の戦いの前日に、勝頼が光堅宛てに書状を送っているのですが、それによると彼は当時武田領内のどこかの城を守備していたと考えられるのです。

長篠の戦場にいない以上、勝頼に進言するのは難しいでしょう。よって「光堅が敗因を作った」というのは冤罪だと考えられます。

ちなみに長篠の戦いでは、光堅の三男も戦死しています。

また、金銭面での悪評もあります。

天正6年(1578年)に上杉謙信が急死したことを受け、上杉家の家督を巡って上杉景勝と上杉景虎が御館の乱を起こします。

その際、景勝と武田勝頼が甲越同盟を結び、勝頼は資金援助を受けているのですが、『甲陽軍艦』によると光堅は、景勝の家臣を通じてその金を一部横領したというのです。

長篠合戦図屏風(長浜市立長浜城歴史博物館蔵・1750頃~1850頃)(Wikipediaより)

甘言を用い、主君を見捨てた?

この時、「武田四天王」として知られる春日虎綱は、「光堅を追放するように」と勝頼に提言します。しかし勝頼は光堅の甘言に惑わされていたため、進言を受け入れなかったとされています。

しかし実際には、光堅は、甲越同盟を結ぶ際の手続きには関わっていませんでした。武田・上杉の間を取り次いだのは、小諸城将である武田信豊(信玄の甥で武田勝頼の従弟)で、少なくとも光堅が関わっていた記録はありません。

このように、『甲陽軍鑑』の記述は整合性に欠ける部分があります。

光堅の悪評は、その最期にまでつきまといます。天正10年(1582年)3月、武田家の滅亡に際しての話です。

織田・徳川連合軍の甲州征伐を受けて、勝頼は新府城を放棄しました。そして都留郡の小山田信茂を頼りましたが、信茂に離反されて自害します。

武田勝頼(Wikipediaより)

この甲州征伐の中で光堅も命を落としました。享年70歳。

武田家の滅亡について記録した軍記物である『甲乱記』によると、彼は織田側に投降して処刑されたとされています。

また『甲陽軍鑑』でも、彼は現在の甲府市にあたる親族の屋敷で処刑されたとされています。

つまり彼は、勝頼と行動を共にせず甲府に残り投降、そして処刑された「主君を見捨てた奸臣」として位置付けられているのです。

ところが『信長公記』では、光堅が勝頼に最後まで従い、忠義を尽くし戦死したと記録されています。

「口だけ」の人物?

これについては、どの記録が本当なのか、簡単に結論を下すことはできません。

ただ、『甲陽軍鑑』を書いたのは、武田信玄に仕えた重臣・春日虎綱か、あるいは彼に近い親族だとされています。『甲乱記』も同様です。そして『甲陽軍鑑』の記述は全体的に光堅について辛辣というよりも辻褄が合わない捏造・でっち上げに近い個所が多いのは、これまで見た通りです。

一方、『信長公記』はわりあい記述内容に信頼がおけるとされていますし、光堅のことをあえて持ち上げる必要がないにも関わらず、忠臣として記しています。

このことからも、光堅の最期についても、語り継がれているようなひどさではなかったのではないでしょうか。

「長篠の戦い」竹広激戦地の碑

それにしても光堅は、なぜここまで悪しざまに書かれたのでしょうね。はっきりした理由は不明です。この他にも、『甲陽軍鑑』では武田信玄が光堅を「口だけしか動かない男」と評していたともあります。

しかし、そんな人物が重臣、板垣信方の後任に据えられるのは不自然です。また光堅は北信濃の豪族・香坂氏の調略も任されたり、上杉氏の侵攻に備えての地形調査の役割も担っています。「口だけ」の人物がここまで重用されるのはおかしいでしょう。

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