【鎌倉殿の13人】源義高は女装し脱出!決死の覚悟で身代わりになった海野幸氏の活躍ぶり

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【鎌倉殿の13人】源義高は女装し脱出!決死の覚悟で身代わりになった海野幸氏の活躍ぶり

木曽義仲(演:青木崇高)の命により、源頼朝(演:大泉洋)の元へ人質に出された嫡男の源義高(演:市川染五郎)。

鎌倉では許婚の大姫(演:落井実結子)をはじめ女性たちを虜にする美しさと、御家人たちともすぐに打ち解ける気さくさを兼ね備えて一躍人気者に。

酔っ払った和田義盛(演:横田栄司)の相撲につき合わされ、ちょっと怪我をしてしまった義高を手当てしていたのは、信濃からつき従ってきた海野幸氏(演:加部亜門)。

木曽、真実意趣なき由を表さむがために、嫡子清水冠者義重(源義高)とて、生年十一歳になる小冠者に、海野、望月、諏訪、藤沢なんどといふ聞こゆる兵共を付けて、兵衛佐殿の許へ遣はす。

※『平家物語』巻第七 清水冠者

『吾妻鏡』には寿永2年(1183年)の記録がないため『平家物語』からの引用。ここに登場する海野とはこの海野幸氏(うんの ゆきうじ)のことです。

歌川貞秀『英雄百首』より、海野小太郎幸氏。

今回は源義高に仕えた忠臣・海野幸氏の活躍を紹介。果たしてどんな生涯を送ったのでしょうか。

義高と一緒に鎌倉へ

海野幸氏は承安3年(1173年)、信濃国の豪族・海野幸親(ゆきちか)の三男として誕生します。

この幸親は名前が似ていることから義仲四天王の一人である根井行親(ねのい ゆきちか)と同一人物との説もあり、海野家も豪傑揃いだったのでしょう。

通称は小太郎。初陣は治承4年(1180年)、主君・木曽義仲の挙兵に従ったといいます。この時わずかに9歳。さすがに前線には出なかったでしょうが、まだ元服すらすませていない童の従軍に、義仲らの総力戦ぶりが見てとれます。

清水冠者義高。歌川貞秀『英雄百首』より

寿永2年(1183年)、義高が鎌倉へ人質となるとこれに同行。他に同族の望月重隆(もちづき しげたか)、藤沢清近(ふじさわ きよちか)らが従いました。

そして寿永3年(1184年)1月20日、義仲が源範頼(演:迫田孝也)・源義経(演:菅田将暉)らによって討ち取られると、義高にも誅殺の危機が迫ります。

「このままでは冠者殿の御身が危い。何とかせねば……」

大姫から情報を得た(※)義高は一計を案じ、女装して大姫の侍女たちと一緒に御所を脱出。あらかじめ隠しておいた馬に乗って逃走しました。馬蹄の音が響かぬよう、馬の足を綿で包むという念の入れようです。

(※)これは頼朝がわざとリークさせたもの。弱者を一方的に討てば外聞が悪いため、情報を流して義高に行動≒謀叛を起こさせるための罠でした。

大姫の手引きで御所を脱出する義高。歌川国貞

一方、幸氏は義高の身代わりとなって義高の寝床に入り、夜が明けると義高の席でひとり双六(すごろく。現代のバックギャモンに近いゲーム)を打ち続けます。

日ごろ義高がそうしていたらしく、サイコロの音がするので御家人たちは「冠者殿はいつものように遊んでいるのだろう」と思っていたとか。

ちょっと呑気すぎる気もしますが、昼食などに声をかけなかったのでしょうか。

しかし、夜になるとさすがにバレてしまいました。頼朝は激怒して幸氏を捕らえ、御家人の堀藤次郎親家(ほり とうじろうちかいえ)に命じて追手を派遣、見つけ次第討ち取るよう命じます。

それにしても、よく数え12歳(満11歳。現代なら小学5~6年生)の少年が、たった一人でここまで粘りましたね。

死を覚悟した幸氏だが……

けっきょく義高は脱出から数日後、入間河原(現:埼玉県狭山市)まで逃げたところで討ち取られてしまいました。その首級は元暦元年(1184年)4月26日に鎌倉へもたらされます。

父や兄らは討死・処刑されてすでに亡く、頼朝を欺いた自分も程なく討たれるのだろうと覚悟していた幸氏ですが、意外なことに罪を赦されました。

「身命を惜しまず、主君を守ろうとした忠義はまことに天晴れである。木曽殿と冠者殿のことは法皇猊下の思し召しゆえ致し方なかったが、これからはどうか鎌倉に力を貸して欲しい」

義仲の怨みを抱いて再起し、源氏の棟梁に成り代わる危険性がある義高さえ討てれば、後の者たちはなるべく活かしたかったのです。

事ここに至って幸氏は頼朝を新たな主君と仰ぎ、同じく赦された望月重隆らともども忠勤に励むのでした。

鶴岡八幡宮 蔵「流鏑馬之図」

弓の名手として名を挙げた幸氏は、鶴岡八幡宮の弓始(文治6・1190年)や富士の巻狩(建久4・1193年)で活躍。また建久6年(1195年)に頼朝が上洛した際、住吉大社で行われた流鏑馬には、重隆と共に東国代表として出場しています。

こうした活躍から天下八名手(※)とも弓馬四天王(※)とも称され、頼朝の死後も第2代将軍・源頼家(演:金子大地)、第3代将軍・源実朝(演:柿澤勇人)にも弓射の技量を披露しました。

(※)諸説あり。50音順に愛甲季隆(あいこう すえたか)・海野幸氏・下河辺行平(しもこうべ ゆきひら)・諏訪盛澄(すわ もりずみ)・榛谷重朝(はんがや しげとも)・藤沢清近・結城朝光(ゆうき ともみつ)・和田義盛。

(※)諸説あり。50音順に海野幸氏・小笠原長清(おがさわら ながきよ)・武田信光(たけだ のぶみつ。武田信義の子)・望月重隆。

また武勇にもすぐれ、建久4年(1193年)に曽我物語の仇討ちがあった時は頼朝の身辺を守り手傷を負っています。

建仁の乱で大暴れした敵の女武者・坂額御前。月岡芳年「芳年武者无類 阪額女」

他にも建仁の乱(建仁元・1201年)や和田合戦(建暦3・1213年)、承久の乱(承久3・1221年)にも出陣しました。

没年は不詳、『吾妻鏡』では建長2年(1250年)に海野左衛門入道と言及があるのを最後に、姿を消しています。この時点で78歳ですから、相当な長寿ですね。

終わりに

幸氏の子孫も鎌倉幕府の御家人として活躍し、信濃国から上野国(現:群馬県)にかけて広く栄えました。

戦国時代にも海野氏が登場しますが、その多くが幸氏の子孫。かつて決死の覚悟をもって主君を守った祖先の忠義を誇り、大切に受け継いだことでしょう。

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」ではどんな活躍を魅せてくれるのか、加部亜門さんの好演に注目ですね!

トップ画像: 鎌倉殿の13人 公式ページより

※参考文献:

田中豊茂『信濃中世家伝 信濃武士の家紋と興亡』信濃毎日新聞社、2016年11月 古川貞雄『郷土歴史人物事典 長野』第一法規、1978年10月

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