まさに「友の友たり」!平安貴族・伴友足がみんなと分かち合った鹿肉と思い出

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まさに「友の友たり」!平安貴族・伴友足がみんなと分かち合った鹿肉と思い出

皆さんは、例えば美味しいものを手に入れた時、独り占めしたい派ですか?それともみんなで楽しみたい派ですか?

もちろん1人で食べても美味しいですが、一緒に食べると満足感は数倍するもの。

また、みんなで分かち合った思い出を共有すれば、それはかけがえのない財産となるでしょう。

伴友足の後ろ姿。何をのぞいているのだろう?菊池容斎『前賢故実』より

今回はそんなお話し。平安時代に活躍した貴族・伴友足(ともの ともたり)のエピソードを紹介したいと思います。

武人として研鑽に励む

伴友足は奈良時代末期の宝亀7年(776年)に誕生。桓武天皇(かんむ・第50代)から仁明天皇(にんみょう・第54代)まで5代の天皇陛下にお仕えしました。

延暦22年(803年)に内舎人となってから左衛門大尉、右兵衛佐、左衛門佐と武官を歴任。

武骨な性格で公正無私、世人の評判を恐れることなく≒空気を読まずにモノ申したそうで、好き嫌いはハッキリ分かれたかも知れません。

そんな友足は武官の職に相応しくあるべく武芸に励み、趣味と実戦訓練を兼ねて狩猟を好んだと言います。

速く、鋭く、勇ましい。武人の理想を象徴する鷹(イメージ)

当時、狩猟と言えば鷹と犬は必須のパートナーで、友足は彼らをこよなく愛しました。

鷹の速さ鋭さ、そして犬の忠実さを、武人の模範と尊敬していたのかも知れませんね。

「もし地獄に堕ちることがあれば……」友人たちの評価

さて、ある日のこと。いつものように友足たちが狩猟を楽しんでいました。

「……お見事!」

大きな鹿を射止めたのは、百済王勝義(くだらのこにきし しょうぎ)。

「我が射止めしゆえ、我が鹿ぞ!」

自分で射止めたのだから、その鹿は自分のもの。もちろん当たり前なのですが、そんな態度に周囲は興醒めしてしまいます。

(わざわざ言わなくても、別にお前の分け前なんて求めないのに……)

たまに分け与えることがあれば大層と恩着せがましく、周囲もお義理で受け取るばかり。

狩りを楽しむ友足たち(イメージ)

一方、友足は鹿を射止めると、まずは天皇陛下への御贄(みにえ。お捧げもの)として良いところをとり、残りは余すことなくみんなに分け合いました。

「いつもありがとう」

「お陰で不猟(ボウズ)の時でも、妻や子供らに面目が立つよ」

「いいんだよ。山海の恵みはすべて神々の思し召しだし、こういうのはみんなで食った方が何倍にも美味いじゃないか!」

すがすがしい友足の態度にみんなは感心し、やがて口々に話し合ったと言います。

「もし何かの間違いで友足が地獄に堕ちるようなことがあれば、みんなで閻魔大王に無実を訴えようじゃないか」

「もちろんだ。アイツが地獄に堕ちるなんてありえないからな」

「逆に、勝義の野郎が何かの間違いで極楽へ行くようなことがあれば、みんなで閻魔大王に訴えようじゃないか」

「もちろんだ。あの野郎が極楽へ行くなんて、理不尽にもほどがある」

閻魔大王「安心せぇ。億に一つもそんな間違いはせぬ」

……友足へ恩義を感じていたことはよく分かりますが、勝義は一体みんなに何をしたのでしょうか。よもやケチなだけではないのでしょうね。

終わりに・武人として理想的な最期

まさに友達の中の友達……「友の友たり」もとい伴友足ですが、承和10年(843年)
1月5日、68歳でこの世を去ります。

「あぁ……そろそろ死ぬな」

自らの死期をさとった友足は沐浴して心身を清め、束帯(そくたい。男性貴族の正装)をまとうと、座したまま安らかに息を引き取りました。

武官の装束

なかなかこのような美しい死に方はできないもの、よほど平生からの覚悟と鍛錬を積んだのであろうと人々は賞賛。武人ならばかくありたしと願う理想的な最期と言えるでしょう。

どこまでも清々しい一生を送った伴友足。その生き方を少しでも見習いたいものです。

※参考文献:

森田悌『続日本後紀 下 全現代語訳』講談社学術文庫、2010年10月

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