お腹が空くのは絶対イヤ!熊本城を”食べられるお城”に設計した城主・加藤清正

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お腹が空くのは絶対イヤ!熊本城を”食べられるお城”に設計した城主・加藤清正

日本一難攻不落と呼ばれる城「熊本城」。今回は、熊本城に隠された意外な事実と個性が強すぎる城主・加藤清正(かとうきよまさ)について紹介します。

熊本城の城主・加藤清正

熊本城

熊本城は有名ですが、城主である加藤清正を知らない方は多いのではないでしょうか。加藤清正は熊本藩の初代藩主で、藤堂高虎や黒田官兵衛らと共に三大築城名手と呼ばれています。

加藤清正が建築した代表的な城である熊本城は「鉄壁の守り」や「入ったら出られない城」と言われており、築城の才能は豊臣秀吉にも称賛されるほどだったのだとか。

加藤清正は、ほかにも江戸城や名古屋城の築城にも携わっていたそうです。

食べれる城

熊本城は、天守の畳を芋のつるで作ったり、壁にかんぴょうを仕込んでいたりと、いたるところに食料が隠されており、「食べられる城」と呼ばれることもあります。

城内に植えられた銀杏の木も、有事の際は貴重な食糧減として利用されたそうです。

諸説ありますが、朝鮮出兵に参加していた加藤清正は、自身の愛馬を食べざるおえないほどの飢餓状態を経験したことがあり、それから熊本城内に非常食を常備するようになったと言わています。

実際、西南戦争では西郷隆盛に城を囲まれ籠城することになるのですが、食料を多く保持していたことから2か月以上も立てこもることに成功しています。

備えられない藩士はいらん!

加藤清正

加藤清正は、平時から米三升と味噌、銀銭300文を腰兵糧にいれて持ち歩いていたそうです。
常に備えることを忘れなかった加藤清正は、腰兵糧をしていなかった百姓を怠慢だと免職にしたと言います。

ストレスで猿と会話

徳川政権が樹立したころ、豊臣家と徳川家の関係は悪化。
そのため加藤清正は、お世話になった豊臣家につくか、お家存続のため徳川家につくか悩んでいたそうです。
加藤清正は、それから次第に飼っていた猿と話すようになっていったと言います。

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