讃岐国の海に浮かぶ城!?三大水城のひとつ「高松城」の歴史と現況を解説 (2/3ページ)
また当時、高松城の周辺の海域は「玉藻の浦」と呼ばれていました。玉藻という言葉は、『万葉集』の中で柿本人麻呂が讃岐国の枕言葉として「玉藻よし」と詠んだことから使われています。こうしたことから、高松城は別名「玉藻城」とも呼ばれていました。
重要文化財としての高松城
さて、生駒氏は4代にわたり高松城を居城としますが、生駒高俊の代でお家騒動(生駒騒動)が起こり改易、転封となります。
その後は、寛永19(1642)年に松平頼重が12万石で入封しました。松平頼重は、水戸徳川家初代藩主の徳川頼房の長男で、水戸黄門で有名な徳川光圀の兄にあたる人物です。
頼重が高松に入封したのは、西国諸藩の動きを監視するためだったとも言われています。
頼重は高松に入ると城内を改修し、寛文9(1669)年には3重4階+地下1階の壮大な天守が完成しました。