死に慣れることで薄まった当事者意識と、慣れたことで得られた恩恵 (2/2ページ)

心に残る家族葬

新型コロナウイルスの感染がどのように収束するかという話題について、多くの人々がインフルエンザほどの感染数にまで落ち着くこと、と考えているだろう。しかし、死を過剰に恐れ続けたままでは、コロナウイルスがこの世から完全に消滅するまでその恐怖感は消えることはないだろう。ある程度死について頭の片隅に置いておきながらも、死という恐怖に慣れることで、また当たり前の生活に戻り、当たり前に外に出でマスクをせずに過ごすことができる世界が戻ってくるのではないだろうか。

■折り合いが必要だった

このように、さまざまな要因でコロナ禍でより近くなった死への実感を、この2年以上の暮らしの中でどこか失ってしまったように感じる。死亡者が少ない時の方が、語られる壮絶な医療現場の状況はより生々しく、亡くなっていった人の無念はより私たちに近いものであった。そして、感染してもなお自分は大丈夫という意識が生まれる。これは一種の死という概念への慣れではないだろうか。しかし、死への慣れというのはある面からみれば悪い点のみを持つだけではない。二年半ほど前の当たり前の生活に戻り、感染症と共存してくためには、ある程度の慣れというものが必要になってくるのではないだろうか。これからの生活の中でも、移り変わる死の在り方について考えていく必要があるように思われる。

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