男の愛なんかアテにならない!平清盛の寵愛を受けるも運命を狂わされた白拍子の女性たち
昔から「男心と秋の空」なんて言いますが、とかく寵愛というものは移り変わりが激しいもの。
昨日愛されたからと言って、今日も愛してくれるとは限りません。だから権力者を取り巻く女性たちは、常に自分が成り上がる(入れ替わる)チャンスを狙ってバトルを繰り広げたのでした。
今回はそんな一人・妓王(ぎおう)を紹介。平清盛(たいらの きよもり)の寵愛を受けた彼女ですが、その情熱は永く続かなかったようです。
妓王たちの出自妓王は平家に仕える江部九郎時久(えべ くろうときひさ)の娘として、近江国祇王村(滋賀県野洲市)で誕生しました。
母親は刀自(とじ)、妹に妓女(ぎじょ)がいたと言います。母娘そろって白拍子になったと言います。
刀自は戸主に通じ、女性(特に世帯主)に対する敬称。恐らく夫に先立たれてしまったため、生活のためやむなく白拍子となったのでしょう。
離縁された可能性も考えられますが、それなら政略結婚の駒に利用できる娘を手放すとは考えにくく、前者の方が可能性は高そうです。
その後、京都で名を上げたと言いますから、夫に先立たれる前は芸能に通じていた=芸能を学ぶ余裕がある家庭環境で暮らしていたものと思われます。
妓王も妓女もいわゆる源氏名と思われ、いずれも本名は不詳。妓王は「芸妓の王」妓女は単に「芸妓の女」という意味。姉はともかく、妹の名前はもうちょっと考えてあげて欲しいところです。
故郷の祇王村は「妓王の故郷だから」この名前になったのか、あるいは祇王村(義王村)の出身だから彼女が妓王と名づけられたのかも知れません。
清盛の寵愛を受けるも束の間……さて、平清盛に召し出された妓王はその寵愛を受け、ある時こんなおねだりをしたと言います。
「故郷の村が干ばつで苦しんでいます。どうか、水路を作って下さいまし」
それくらいお安い御用……清盛は鼻の下を伸ばして水路を作ってやりました。その水路は祇王井川(ぎおういがわ)と呼ばれて現代も土地を潤し続けているとか。
よかったよかった……しかしある日、清盛の元へ飛び込みでやって来た仏御前(ほとけごぜん)が彼女の運命を狂わせます。
「歌舞など一つ、ご覧ぜよ」
「うるさい、出ていけ!」
清盛によって門前払いにされた仏御前を、妓王はかばってあげたのです。
「どうかあの者にも、お慈悲を垂れて下さいまし……」
「まぁ、そなたが申すなら……」
仕方なく入れてやった清盛ですが、今度は仏御前に目移りしてしまい、妓王なんてもうそっちのけ。すっかりお声もかからなくなってしまいました。
下手な情けが身の仇に……妓王の悔しさはもちろんのこと、仏御前だって申し訳なくて気が気ではありません。
「相国(しょうこく。清盛)様、どうか妓王にもお声を……」
しかし、もう飽きてしまった女なんかどうでもいい清盛は、今度は話を聞いてくれません。
「うるさい、あんな女はそなたの世話役がお似合いだ!」
という訳で、清盛は妓王を仏御前の世話役にしてしまいました。ほんの少し前まではあれほど熱烈に愛してくれていたのに……うんざりした妓王は、その想いを歌に詠みます。
エピローグ
萌えいづるも 枯るるもおなじ 野辺の草
いづれか秋に あはではつべき※『平家物語』祇王より
【意訳】芽生える草も、しおれる草も、けっきょく枯れてしまうのはみな同じ。今は愛してくれても、やがて秋=飽きが来てしまうように。
もう誰も信じられない……思い詰めて自殺まで考えた妓王を、母と妹が懸命に説得。話し合った結果、母娘三人で出家して嵯峨往生院(京都市右京区。現:祇王寺)へ入りました。
するとそこへ、仏御前がやって来ます。
「……いったい何の御用?今さら詫びられても遅いんだけど」
アンタは今ごろ清盛の寵愛を受けて、幸せの絶頂でしょうに……妓王の僻みに、仏御前は応えました。
「いえ、私も出家いたします」
どうせ男の愛情なんてすぐに移ろい変わってしまう……そんな虚しいものに縋りつく人生に嫌気がさした彼女はその場で出家。たちまち和解して4人で念仏三昧の余生を送ったということです。
誰かの情けにすがるより、自分の意思と行動によって人生を切り拓いていきたい。そんな妓王たちの姿は、今も人々の胸を打ち、愛され続けています。
※参考文献:
光明正信ら『京都の散歩みち』山と渓谷社、2000年6月 高橋貞一 編『平家物語 上巻』講談社、1972年2月日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan