2度の離婚、整形後遺症、不倫、自殺…明治時代の悲劇の大女優・松井須磨子の生涯

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2度の離婚、整形後遺症、不倫、自殺…明治時代の悲劇の大女優・松井須磨子の生涯

Japaaan読者の皆さんこんにちは。ライターの小山桜子です。芸能界にスキャンダルはつきものですが、明治時代のスキャンダル女優と言えば「松井須磨子(まついすまこ)」の名は外せません。

離婚、整形、不倫、自殺とすべて詰め込んだような彼女の波乱万丈人生をご紹介します。

17才で離婚、整形して女優へ

松井須磨子は長野県に士族の家に9人兄妹の末っ子として誕生。

1903年、17才で最初の結婚をするも病気がちを理由に1年で離婚。「平凡な日常から脱却したい」という思いから女優を目指すも鼻が低い事を理由に俳優養成学校に入学拒否されます。

どん底の須磨子は、なんと当時最新の技術だった鼻筋に蝋を注入する美容整形手術を受けます。これにより俳優養成学校へ入学し念願の女優となりました。一説には日本初の整形美人女優は須磨子なのだとか。

鼻筋がズレる!?

整形後遺症の苦しみしかし、注入した蝋は比較的軟らかいもので、体温程度でも不安定な状態になりよく鼻筋からずれてしまい、その度に自らの手で押さえるハメに。

体も拒絶反応を起こして鼻を中心に顔全体が腫れると、痛みで寝込むほどでした。対症法もなくひたすら痛みに耐えたそうです…。

2度目の離婚と不倫、日本初の発禁騒動

1908年、2度目の結婚するも女優業で家事がおろそかになり、2年で離婚するも、女優としては当たり役が続き、1913年、劇作家の島村抱月と芸術座を旗揚げするなど順風満帆のキャリアを歩みます。

私生活は相変わらず奔放で、妻子ある島村抱月と不倫関係になり世間の批判を浴びます。

しかしそんなスキャンダルもなんのその、須磨子が歌った歌は大ヒットし、須磨子は日本初の歌う女優となりました。ちなみに1917年のレコード「今度生まれたら」では、歌詞の中にある

「かわい女子(おなご)と寝て暮らそ」

の部分が当時の文部省により猥褻扱いされ、日本初の発禁レコードになります。

須磨子の人生はとにかく「日本初」が多いのです!

不倫の恋人の死後後追い自殺

人気絶頂の須磨子でしたが、 1918年11月、恋人・抱月が病死すると、2ヶ月後に劇場の道具部屋において首吊り自殺。松井須磨子の波乱万丈人生があっけなく幕を閉じるのでした。

2度の結婚生活は上手くいかなかった彼女でしたが、抱月への恋心は本物だったようです。

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