北海道・函館にある「五稜郭」はなぜ五角形の星形なのか?その形に隠された意外な事実とは?

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北海道・函館にある「五稜郭」はなぜ五角形の星形なのか?その形に隠された意外な事実とは?

日本史上において、有名な場所はいくつもあります。自分の好きな歴史上の人物が活躍したところや、住んでいたお城、お墓があるところなど……。

そんななかでも、多くの方が知っているのが、北海道・函館にある「五稜郭(ごりょうかく)」ではないでしょうか。

五稜郭

新選組の副長として知られる土方歳三(ひじかたとしぞう)が戦った場所でもある五稜郭は、その独特な形で、一度見たら忘れられないのではないでしょうか。

そこで、今回の記事では、そんな五稜郭について詳しくご紹介したいと思います。

五稜郭はなぜ作られた?

北海道・函館にある五稜郭は、安政4年(1857年)に江戸幕府によって7年の歳月をかけて作られました。その目的は、蝦夷字を管理して、外国からの攻撃に備えるためでした。

函館(江戸時代までの表記は箱館)は、日米和親条約で伊豆の下田とともに開港しており、市街地に箱館奉行を設置しました。

しかし、港に近かったため、外国船から攻撃されやすいというデメリットがありました。そこで幕府が取った策が、箱館奉行を内陸、今の五稜郭がある場所に移転させました。

五稜郭が五角形の星型である理由は?

五稜郭を設計したのは、蘭学者の武田斐三郎(たけだあやさぶろう)です。函館港に入港していたフランス軍人から情報を得て、ヨーロッパで発達した「城郭都市」をモデルとした土塁を設計しました。

五稜郭之図

五稜郭が星形である理由は、死角を作らないためでした。

稜堡(りょうほ)と呼ばれる外に向かって突き出た堡塁(ほるい)の部分に、砲台を設置しました。このことにより、攻撃をするときには射線が交差し、被害を与えやすくなるのです。

また、防御の際も死角がなくなり、結果として本拠地である箱館奉行所を守ることができます。

五稜郭と土方歳三

五稜郭と切っても切り離せないのが、土方歳三。しかし、彼ら新選組が実際に戦ったのは五稜郭ではなく、先の海岸線にある「弁天台場」や「一本木関門」という場所でした。

五稜郭はあくまで本拠地、屯所だったのです。土方歳三は、五稜郭の近くで敵の銃弾を受けて、死亡します。その後、旧幕府軍の榎本武揚も降伏し、五稜郭を新政府軍に明け渡しました。

いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです!

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