平清盛の権力を頂点まで引き上げた陰謀事件「鹿ヶ谷の陰謀」とは?【後編】 (2/3ページ)

Japaaan

平重盛(Wikipediaより)

これだけでも眩暈がするような地獄絵図ですが、ここで平家が登場したことで、事態は思いも寄らぬ方向に進展していきます。

命令を受けた重盛は、当時は内大臣を務めており、朝廷に忠実な立場でした。その一方で平家と比叡山は友好関係にあるので、両者の板挟みとなってしまいます。

苦慮した重盛は清盛に相談し、そこで清盛は後白河上皇をなだめて派兵を何とか食い止めようとします。

が、後白河上皇の度重なる頼みを断りきれなくなり、ついに兵を動員することを決断します。

そんな清盛の元に1177年6月1日、「鹿ケ谷の山荘で後白河上皇やその近臣たちが、平家を倒すための密議をしている」との密告がもたらされます。

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