この名前はキツすぎる!戦国時代にも結構多かった「キラキラ(?)ネーム」の数々 (2/3ページ)
不器用すぎる親心?織田信長が子供たちにつけたユニークすぎる名前を一挙紹介!
また信長亡き後に天下人となった豊臣秀吉は、側室・淀の方の産んだ「鶴松」という名前でも知られる嫡男に「棄(すて)」、後に秀吉の後継者となる次男・豊臣秀頼に「拾(ひろい)」という名前をつけています。
現代の感覚では、多くの方が「えっ!?」と二度聞きしてしまうのではないでしょうか?
幼名が「キラキラ」「ドキュン」でもOKだったワケ現代では「キラキラネーム」のために就職が不利になったり、出世に影響が出たり、救急車で緊急搬送されるときなどに名前が読めなくて命に関わる問題となったりと、問題点がしばしばクローズアップされています。
このような問題は、戦国時代や江戸時代には起こらなかったのでしょうか?
実は当時は、生まれた時につけられた名前を一生名乗り続けるわけではありませんでした。
平安~江戸時代の貴族や武士の子供たちは、誕生から成人となるまでの間は、親から最初につけられた「幼名」で呼ばれました。

