元男闘呼組・高橋和也【人間力】インタビュー「早朝から映画ロケ、昼に舞台本番、夜は子育て…今も昔も自分の心の声に正直だから、苦ではない」

日刊大衆

高橋和也(撮影・弦巻勝)
高橋和也(撮影・弦巻勝)

 僕が子どもの頃は歌番組の全盛期で、テレビでキラキラ輝いているアイドルに憧れを抱いていました。

 それがやがて「僕もやってみたい」という気持ちに変わりました。そのきっかけが“たのきんトリオ”の登場です。それまでのアイドルよりも、なんだか普通っぽくて身近な感じがして、それでいて、歌ったり踊ったりはもちろん、映画やドラマでも活躍していた。自分もあんなふうになりたいと強く思ったんですね。

 その後、15歳で芸能界に入り、『東中学3年5組』(TBS系)という学園ドラマの生徒役で、俳優デビューすることができました。

 そこからはグループとして全国ツアーをやったり、映画やドラマに出演したり……。あの頃は憧れが現実になって、毎日が充実していたし、無我夢中でしたね。

 17歳のときには『やったぜベイビー!』(日本テレビ系)というテレビドラマで初主演。友達役の俳優と実際に友情みたいなものが生まれたり、キレイな女優さんにドキドキして本当に好きになっちゃったり(笑)。ドラマを演じているにもかかわらず、自分がまるごとその世界に入ってしまったような感覚で、「俳優って仕事は、最高に面白い!」と感じましたね。

 当時は事務所の合宿所で生活していましたが、外に出るとファンの女の子たちが待っていたり、街を歩けば振り返られたりして、それが当たり前のように感じ始めていました。

 ところが、1993年にグループが解散した後、アメリカに渡ったら、誰も僕のことを知らない。なんて楽なんだろうと思いましたね(笑)。日本にいるときはストレスなんて全然感じていないと思っていたけど、そうじゃなかったんだ、と。

■今考えても壮絶な日々

 アメリカでの生活はとても自由で、このままここで俳優やミュージシャンとして生きていくのもいいなぁ、なんて思っていたんです。でもその時期に、日本に残してきた恋人……今の妻から「赤ちゃんがおなかにいる」って言われたんです。「こんなことしている場合じゃない!」と、日本で活動しようと決めました。幸いにも舞台のお仕事をいただけて、本当にありがたかったですね。

 その舞台の劇場入りの日に、長男が無事に誕生しました。誕生を喜んだのも束の間、舞台稽古で俳優の一人が大けがをして、急きょ代役を立てることになってしまって……。だから初日は、パパになった喜びと、無事に幕が開いた安堵で、テンションが変なことになってました(笑)。

 ちょうどその頃、ある映画のオファーをもらいました。台本を読んだらとても面白くて、「やりたい!」と強く思いましたが、撮影期間はまだ舞台の本番中で……。

 悩みに悩んで結局、早朝から千葉の九十九里で映画のロケ。昼間は渋谷で舞台に出演して、終わったらまた映画の撮影。家に帰ったら、泣きやまない息子をあやすという、今考えても壮絶な日々を送ることになりました(笑)。

 もちろん大変でしたが、今も昔も「やりたい」という自分の心の声に正直に生きてきたから、苦ではなかったです。

 今回出演した『破戒』という映画も、台本に書かれている“風間敬之進”という役から「おい高橋、俺を演じてくれよ」と言われた気がして、「やりたい」と思ったんです。

 この作品は間宮祥太朗くん演じる主人公が、戒めを破ることになる物語。ふと、僕が自身に課している戒めはあるだろうか? と考えてみました。それが僕は、「友達を裏切ることは絶対にしない」ということでした。

 いろいろな時期がありましたけど、常に友達に支えられてきたし、彼らがいてくれたから、僕は生きているなと思うんです。これまでも、そしてこれからも、彼らを深く傷つけたり、失望させたりすることだけは、してはいけないと肝に銘じています。

高橋和也(たかはし・かずや)
1969年5月20日生まれ。東京都出身。1988年に『男闘呼組』としてデビュー。俳優としては、映画『ロックよ、静かに流れよ』『あゝ、荒野』『新聞記者』、大河ドラマ真田丸』など数多くの作品に出演。ラジオドラマ、韓流ドラマの吹き替えなど、声の仕事でも活躍。音楽の分野でもライブを中心に活動中で、ソロアルバムCD『MOUNTAIN MAN』が発売中。

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