「鎌倉殿の13人」ついに阿野全成の最期か…第30回放送「全成の確率」予習
源頼家(演:金子大地)の呪詛を頼まれ、引き受けてしまった阿野全成(演:新納慎也)。
あれやこれやの末に思い直したものの、仕込んでおいた人形(ヒトガタ)を一つ回収し忘れてしまいます。
鎌倉殿を呪詛した容疑によって全成はもちろんのこと、妻の実衣(演:宮澤エマ。阿波局)や京都で修行している息子の阿野頼全(あの らいぜん。言及のみ)はどうなってしまうのでしょうか。
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」、第30回放送のサブタイトルは「全成の確率」。前に「半々しか成功しない」と言っていた呪詛が、もしかして頼家に効いてしまうのかも知れません。
(こういう都合の悪い場面に限って、成功してしまうのがお約束です)
今回も鎌倉幕府の公式記録である『吾妻鏡』を紐解いて、大河ドラマの予習をしていきましょう。
頼家と比企能員、北条派の切り崩しを図る子剋。阿野法橋全成〔幕下將軍御舎弟〕依有謀叛之聞。被召籠御所中。武田五郎信光生虜之。即被預于宇都宮四郎兵衛尉云々。
※『吾妻鏡』建仁3年(1203年)5月19日条
真夜中ごろ、謀叛の容疑があるとして阿野全成が武田五郎信光(たけだ ごろうのぶみつ)に捕らわれました。身柄は御所に一時拘束された後、間もなく宇都宮四郎兵衛尉(うつのみや しろうひょうゑのじょう。塩谷朝業か)の元へ預けられます。
かつて源頼朝(演:大泉洋)の挙兵に参加してから、ほとんど何の活動も記録されていない全成が、なぜ捕らわれたのでしょうか。
悪禅師と呼ばれた阿野全成。頼朝の元へ来てからの行動には謎が多い。画像:Wikipedia(Musuketeer.3氏)
考えられるのは、全成が北条派であったから。頼家≒比企派は北条の勢いを削ぐべく全成を捕らえ、その妻である阿波局そして実家の北条家へ追及の手を伸ばしたかったものと見られます。
と言うわけで、頼家はさっそく阿波局を捕らえるべく、その身柄引き渡しを尼御台・政子(演:小池栄子)に要求しました。
將軍家以比企四郎。被申尼御臺所云。法橋全成。依企叛逆所生虜也。彼妾阿波局官仕殿内歟。早召給。有可尋問子細云々。如然事。不可令知女性歟。随而全成去二月比下向駿州之後。不通音信。更無所疑之由。被申御返事。不被出進之云々。
※『吾妻鏡』建仁3年(1203年)5月20日条
頼家の使者である比企弥四郎(演:成田瑛基)に対して、政子はこれを頑として拒否。
「謀反の企みなど、女子供の知ったところではありません。そもそも全成殿はこの2月からずっと駿河国阿野荘(現:静岡県沼津市)へ戻っており、何の連絡もとっていないのですから、何の疑いもありません!」
この政子の態度を「必死に妹を守った」と見るか、あるいは「全成を切り捨てた」と見るかはともかく、頼家の背後にいた比企能員(演:佐藤二朗)は舌打ちしたことでしょう。
「チッ、北条までは手を伸ばせなかったか……まぁよい。想定内だ」
果たして5日が過ぎた(この間に訊問≒拷問などが行われたことでしょう)5月25日、全成は常陸国(現:茨城県)へ流罪と決まります。
申尅。阿野法橋全成配常陸國。
※『吾妻鏡』建仁3年(1203年)5月25日条
このまま全成はひっそりと余生を送るのかと思いきや、約1か月が経った6月23日。頼家は八田知家(演:市原隼人)に命じて全成を処刑させました。
八田知家奉仰。於下野國。誅阿野法橋全成。
※『吾妻鏡』建仁3年(1203年)6月23日条
処刑に際して、知家は全成の身柄を下野国(現:栃木県)に移送していますが、その場でさっさと殺さなかったのは何か理由があったのでしょうか。
「よし。京都にいる頼全も殺せ」
翌6月24日、頼家は京都にいた源仲章(演:生田斗真)と佐々木定綱(演:木全隆浩)に頼全の暗殺を命じる使者を発します。
江兵衛尉能範爲使節上洛。是頼全〔全成子〕可誅之由。被仰相摸權守。佐々木左衛門尉等故也。
※『吾妻鏡』建仁3年(1203年)6月24日条
「……これでよし」
北条にまで手は伸ばせなかったけど、とりあえず脅しくらいにはなっただろう……全成を殺し、頼全も間もなく死ぬ。頼家と能員は一息ついたことでしょうが、話はそこで終わりませんでした。
相次ぐ怪異、とうとう頼家に天罰が下る「あ……ハトが!」
全成を殺してからと言うもの、鎌倉の鶴岡八幡宮では異変が相次いだと言います。
辰尅。鶴岳若宮寳殿棟上。唐鳩一羽居。頃之頓落地死畢。人奇之。
※『吾妻鏡』建仁3年(1203年)6月30日条
【意訳】午前8:00ごろ、神殿の屋根にとまっていたキジバトが転げ落ちて死んだ。人々はこれを凶兆として恐れた。
未尅。鶴岳八幡宮。自經所与下廻廊造合之上。鴿三喰合落地。一羽死。
※『吾妻鏡』建仁3年(1203年)7月4日条
【意訳】午後2:00ごろ、神殿の屋根で三羽のハトが食い殺し合い、みな転げ落ちて一羽が死んだ。
辰刻。同宮寺閼伽棚下。鳩一羽頭切而死。此事無先規之由。供僧等驚申之。
※『吾妻鏡』建仁3年(1203年)7月9日条
【意訳】午前8:00ごろ、境内にハトの生首が転がっているのが発見された。僧侶たちは驚いた。
鶴岡八幡宮の社額。「八」の字が神の使いである鳩を象っている。
ハトと言えば源氏の氏神様である八幡大菩薩のお使い。それがこう相次いで怪死を遂げていくと、源氏の行く末も危ぶまれてしまいます。
しかし、頼家は何ら気にせず、行いを悔い改めることなく蹴鞠に興じていました。
御所御鞠也〔今日以後無此御會〕。北條五郎時房。紀内行景。冨部五郎。比企弥四郎。肥田八郎。源性。義印等參。
※『吾妻鏡』建仁3年(1203年)7月18日条
【意訳】頼家は蹴鞠に興じる(この日以降、蹴鞠が途絶える)。当日は北条五郎時房(演:瀬戸康史)・紀内所行景(きの うちどころゆきかげ)・冨部五郎(とみべ ごろう)・比企弥四郎時員・肥多八郎宗直(ひだ はちろうむねただ)・大輔房源性(だいゆうぼう げんしょう)・加賀房義印(かがのぼう ぎいん)らが参加した。
……そんな態度が神仏の怒りに触れてしまったのか、7月20日に頼家は急病に倒れてしまいます。
晴。戌尅。將軍家俄以御病惱。御心神辛苦。非直也事云々。
※『吾妻鏡』建仁3年(1203年)7月20日条
「ただちに祈祷をせよ!」
果たして祈祷を行ない、病因を占った結果、やはり神仏の祟りでした。
御病惱既危急之間。被始行數ケ御祈祷等。而卜筮之所告。靈神之崇云々。
※『吾妻鏡』建仁3年(1203年)7月23日条
これも罪なき叔父を殺した罰か……果たして頼家が後悔したかどうだか、せめて頼全の命だけでも赦してやれば功徳にもなろうに、7月30日に京都より使者が到着。
「申し上げます。法橋禅師(全成)が子息の播磨公(頼全)、さる7月16日に討ち果たしてございます」
相摸權守使者自京都到着。申云。去十六日。催遣在京御家人等。於東山延年寺。窺播磨公頼全〔全成法橋息〕令誅戮之云々。
※『吾妻鏡』建仁3年(1203年)7月30日条
【意訳】源仲章の使者が鎌倉に到着。さる7月16日に東山延年寺で修行していた播磨公頼全を粛清したとの報告を受ける。
……間に合いませんでした。
まとめ・阿野全成父子の最期建仁3年(1203年)
2月ごろ 全成、鎌倉を離れて駿河国へ
5月19日 全成、駿河国で捕らわれて御所に連行される
5月20日 頼家、政子に阿波局の引き渡しを要求するが拒否される
5月25日 全成が常陸国へ流罪に
6月23日 全成が八田知家に殺される
6月24日 頼家が京都の阿野頼全を殺すよう命じる
6月30日 八幡宮の屋根からハトが転げ落ちて死ぬ
7月4日 八幡宮の屋根で三羽のハトが殺し合う
7月9日 八幡宮の境内にハトの生首が発見される
7月16日 京都で阿野頼全が殺される
7月18日 頼家が(人生最後の)蹴鞠に興じる
7月20日 頼家が急病に倒れる
7月23日 占いの結果、病気の原因が神仏の祟りと判明
7月30日 京都から頼全の処刑報告が届く
……以上、阿野全成と阿野頼全の最期をたどってきました。こうして並べてみると、実におどろおどろしく感じられます。
知家(演:市原隼人)は、どのように全成(演:新納慎也)を殺すのか。アレンジも見どころ
半々の確率でしか成功しないという全成の呪詛が、最後の最後で決まったのかも知れませんね(自分だけならともかく、愛する我が子を殺された怒りが天に届いたのでしょうか)。
かくして、野心のために罪なき叔父と従弟を殺した罰が覿面に下った頼家。ここから北条時政(演:坂東彌十郎)による比企派への反撃が始まるのでした。
果たしてNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」ではこの場面がどのように描かれるのか、三谷幸喜の脚本に注目です。
※参考文献:
『NHK大河ドラマ・ガイド 鎌倉殿の13人 後編』NHK出版、2022年6月 『NHK2022年大河ドラマ 鎌倉殿の13人 続・完全読本』産経新聞出版、2022年5月日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan