長崎の原爆投下から77年。「運命」と呼ぶにはあまりに非情な驚きの事実【前編】
Japaaan読者の皆さんこんにちは。ライターの小山桜子です。前回は広島の原爆投下に関しての記事でしたが、今回は長崎の原爆投下に関する記事です。
そもそもなぜ長崎市に投下されたのでしょうか。あまり広く知られてはいませんが、投下目標が長崎に決まるまでに関しては、「運命」と呼ぶにはあまりに非情な驚きの事実があったのです。
初めの目標は「小倉市」8月6日の広島原爆投下作戦において観測機を務めたのはB-29「グレート・アーティスト」を操縦したチャールズ・スウィーニー少佐でした。「グレートアーティスト=すばらしい芸術家」という名前の爆撃機も個人的には嫌悪感を覚えますが……。
彼はテニアン島へ帰還した夜、部隊の司令官であり広島へ原爆を投下したB-29「エノラ・ゲイ」の機長であったポール・ティベッツ大佐から、再び原爆投下作戦が行われるためにその指揮を執るよう命じられます。
更にその後詳細が告げられ、目標は第一目標が小倉市(現・北九州市)、第二目標が長崎市であることを知ったのです。つまり当初、2つ目の原子爆弾投下目標の都市は長崎市ではなく、現在の北九州市だったのです。
それがどうして第2候補の長崎市に変わったのか、経過を見てゆきます。
「エノラ・ゲイ」は九州にも飛来していたあまり知られていない事実ですが、広島に原子爆弾を投下したB-29「エノラ・ゲイ」は長崎の原爆投下にも関わっており、大勢の広島の人々を死に追いやったわずか3日後、8月9日には2つ目の原子爆弾投下を成功させるために九州の空を飛びまわっていました。
実際に長崎に原爆を投下したB-29「ボックスカー」に先行して小倉市の偵察に向かった「エノラ・ゲイ」は「小倉市は朝靄がかかっているがすぐに快晴が期待できる」、長崎市を偵察していた「ラッギン・ドラゴン」からは「長崎市は朝靄がかかっており曇っているが、雲量は10分の2である」との報告がありました。
小倉市を守った黒煙の正体報告を受けた時点では小倉市への投下を考えていたB-29「ボックスカー」は原子爆弾「ファットマン(太っちょ)」を搭載し午前9時44分、投下目標である小倉陸軍造兵廠上空へ到達しましたが、小倉上空を漂っていた霞もしくは煙のために、投下目標の目視確認に失敗します。
この時視界を妨げていたのは前日にアメリカ軍が行った、八幡市空襲の残煙と靄だといわれています。つまり小倉市から近距離の空襲が、皮肉にも小倉市を守ったとも言えます。
それだけではありません。広島への原爆投下の情報を聞いた八幡製鉄所が、8月9日の朝B-29「エノラ・ゲイ」などが上空を飛び回っているのに気が付き警戒し、煙幕装置に点火しコールタールを燃やして黒煙を大量に発生させたのです。
空を覆い隠すほどの黒煙が上がり、「ボックスカー」は小倉市への原子爆弾投下を諦めざるを得なくなったのです。煙幕作戦に携わった人々は、自分達の行動によって小倉は守られたものの長崎市が代わりに目標になった事を後に知り、戦後長く誰も語ることをせず重い記憶を背負って生きていたと証言しました。
長崎の原爆は、被爆者のみならず小倉の人々の心にも重い傷を負わせたのです。
後編へ続く
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