奥州藤原氏の最後の王・藤原泰衡の最期と鎌倉に対する「嫌がらせ」とは? (3/3ページ)

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『前賢故実』の和田義盛(Wikipediaより)

泰衡も退避を決め、郎党であった河田次郎を頼って北方へ逃げます。しかしこの次郎に裏切られて殺されました。享年35歳。

灰燼に帰した財産

泰衡の首は頼朝のもとに届けられましたが、長年仕えた主君を裏切ったかどで、河田次郎も斬首されます。この人も裏切り損ですね。

しばらくして泰衡の首は平泉に戻され、父が眠る中尊寺金色堂に納められます。

中尊寺金色堂

こうして四代にわたって続いた藤原氏の栄華は潰えました。

ちなみに合戦で退避する際、泰衡は自ら平泉に火を放ったといいます。彼の豪華な邸宅や宝物庫は焼き尽くされ、跡形もなくなってしまいました。

頼朝が先代の秀衡のころからたびたび因縁をつけていたのは、藤原氏の巨大な富が目当てだったとも言われています。よって、財産を灰にしてしまうのは、頼朝に対する最も効果的な嫌がらせだったのかも知れません。

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