「虚無僧」って何者?時代劇のイメージはどこまで正しい?その由来や消えていった理由を探る (2/3ページ)

Japaaan

大内宿と虚無僧

関所の通過も簡単で、要請がない限りは、その大きな天蓋を外して顔を出す必要がありませんでした。

これらは1614年、徳川家康によって出されたと言われる『慶長掟書』(けいちょうさだめがき)に記されており、いわば虚無僧とは幕府公認の僧だったのです。

普化宗の修行僧だけでなく、罪人や浪人、隠密などが隠れ蓑として虚無僧の姿に変装することもありました。時代劇などで登場する虚無僧は、隠密の変装としてのアイコンなのだと言えるでしょう。

しかしこのことから、人々に狼藉を働く迷惑な虚無僧も増えていきました。そして明治時代になると普化宗は、政府によって強制的に廃止されてしまうのです。

では廃止された後、普化宗や虚無僧はどうなっていったのでしょうか。

受け継がれる奏法

普化宗は宗派としては消滅しますが、京都の善恵院に明暗(みょうあん)教会、和歌山の興国寺に普化教会、京都の妙光寺に法燈(ほうとう)教会などが設立され、教会として存続することになります。

虚無僧も物乞いの手段の一つになったりして、だんだんとその姿を消していきました。しかしその尺八の音楽や技術は現代にも残っています。

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