「鎌倉殿の13人」義時に第3の女”のえ”登場!第34回放送「理想の結婚」予習
修善寺で非業の死を遂げた源頼家(演:金子大地)。片や鎌倉では新将軍・源実朝(演:峯岸煌桜→柿澤勇人)の御台所を京都から迎えるため、北条時政(演:坂東彌十郎)やりく(演:宮沢りえ。牧の方)らは大張り切りです。
御台所となる坊門姫(ぼうもんひめ)の父・坊門信清(のぶきよ)は時政夫婦の娘婿であり、ますます鎌倉殿との血縁を確かなものとするのでした。
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第34回放送は「理想の結婚」。そのサブタイトルはあくまでも皮肉。実際には欲望と政略にまみれ、理想と大きくかけ離れた結婚となることが予想されます。
また今回結婚するのは実朝だけでなく、北条義時(演:小栗旬)第3の妻となる“のえ(演:菊池凛子。伊賀の方)”が登場します。
そこで今回は実朝と坊門姫、義時とのえ(伊賀の方)の結婚+αを紹介。大河ドラマの予習をしていきましょう。
御台所をお迎えに上洛する若武者たち坊門前大納言〔信淸卿〕息女。爲將軍家御臺所。依可令下向給。爲御迎人々上洛。所謂。左馬權助。結城七郎。千葉平次兵衛尉。畠山六郎。筑後六郎。和田三郎。土肥先二郎。葛西十郎。佐原太郎。多々良四郎。長井太郎。宇佐美三郎。佐々木小三郎。南條平次。安西四郎等也。
※『吾妻鏡』元久元年(1204年)10月14日条
時は元久元年(1204年)10月14日。京都から御台所をお迎えするべく、御家人たちが鎌倉を出発。そのメンバーは以下の通りです。
北条政範(演:中川翼) 結城朝光(演:高橋侃) 千葉常秀(ちば つねひで。平次兵衛尉、千葉介常胤の孫) 畠山重保(はたけやま しげやす。六郎、畠山重忠の子) 八田知尚(はった ともひさ。筑後六郎、八田知家の子) 和田宗実(わだ むねざね。三郎、和田義盛の弟) 土肥惟光(どい これみつ。先次郎、土肥実平の子) 葛西清宣(かさい きよのぶ。十郎、葛西清重の子) 佐原景連(さわら かげつら。太郎、三浦義村の従弟) 多々良明宗(たたら あきむね。四郎、三浦義村の従弟) 長井太郎(ながい たろう。三浦義村の従弟か) 宇佐美祐茂(うさみ すけもち。三郎、工藤祐経の弟) 佐々木盛季(ささき もりすえ。小三郎、佐々木盛綱の子) 南條平次(なんじょう へいじ。不詳) 安西四郎(あんざい しろう。安西景益の縁者か)顔ぶれを見ると、次世代を担う若武者たちが目白押し。時おり宇佐美祐茂(頼朝挙兵以来)のような古参が混じっているのは、お目付け役と言ったところでしょうか。
恐らくやんごとなき姫君が怖がってしまわないよう、なるべく「見栄えのよい&かつ万が一に備えて腕も立つ」者を選んだものと思われます。
メンバーの筆頭はもちろん、時政とりくが溺愛する嫡男の北条政範。期待を一身に背負って京都を目指したのですが、可哀想に道中で病にかかってしまいました。
「父上、母上のご期待にお応えせねば……」
何とか京都までたどり着いたものの、11月5日に亡くなった政範。まだ16歳という若さでした。
『吾妻鏡』ではたった1行……謎の多い実朝の結婚子尅。從五位下行左馬權助平朝臣政範卒〔年十六。于時在京〕。
※『吾妻鏡』元久元年(1204年)11月5日条
【意訳】真夜中ごろ、政範が京都で亡くなった。享年16歳。
鎌倉へ訃報が届いたのは11月13日、最愛の嫡男を喪った時政夫婦の悲しみは、察するに余りあります。
遠江左馬助。去五日於京都卒去之由。飛脚到着。是遠州當時寵物牧御方腹愛子也。爲御臺所御迎。去月上洛。去三日京着。自路次病惱。遂及大事。父母悲歎更無可比云々。
※『吾妻鏡』元久元年(1204年)11月13日条
政範の亡骸は11月6日に東山の辺りへ埋葬されたとのこと。そんな政範の死からさかのぼって11月4日、武蔵守であった(前司は元国司の意)平賀朝雅(演:山中崇)と畠山重保が京都で何か口論を起こしたとか。
故遠江左馬助僮僕等自京都歸着。去六日葬東山邊云々。又同四日。於武藏前司朝雅六角東洞院第。酒宴之間。亭主与畠山六郎有諍論之儀。然而會合之輩依宥之。無爲退散訖之由。今日風聞云々。
※『吾妻鏡』元久元年(1204年)11月20日条
口論の原因が何かは記録に残っていないものの、かねがね起きていた武蔵国における利害の対立や、また鎌倉政権のあり方(朝廷に恭順すべきか、ある程度距離をとるべきか等)について意見が衝突したものと考えられます。
これを恨んだりく(牧の方)が畠山討つべしと時政を唆し、ついには悲劇を迎えることとなるのですが、それはもう少し先の話し。
さて、そんなこんなで鎌倉へ御台所となる坊門姫をお迎えしたのが12月10日。それはもう華やかな嫁入りだったと思いきや……『吾妻鏡』にはたった一行。
御臺所御下着云々。
※『吾妻鏡』元久元年(1204年)12月10日条
【意訳】御台所が鎌倉へご到着遊ばされたそうな。
とあるだけ。婚礼については何も記録されていません。
「いやいや、そんな事はない。まずは旅の疲れをゆっくりとられてから、後日改めてご婚礼に臨まれたのだ……」と思いたいところですが、当月も翌月も、婚礼に関する記事が一つもないのです。
何だか政略結婚らしい闇の深さ……ちなみに実朝と坊門姫の夫婦仲はよかったと言いますが、そうなるとますますこのそっけない記述が気になるところ。
果たして大河ドラマではこの空白をどのように彩るのか、アレンジが楽しみですね。
義時「第3の女」のえとの結婚生活さて、義時にとって第3の妻(正室としては2番目、後室)となる”のえ”。
伊賀の方(伊賀氏)と呼ばれる彼女と義時の出会いについて『吾妻鏡』にはこれまた記述がありません。だからこそ、大河ドラマのアレンジに注目が集まるところです。
義時の許へ嫁ぐ”のえ”。二人の馴れ初めはどんなものだったのか(イメージ)
なので結構時期は不明ながら、元久2年(1205年)に嫡男の北条政村(まさむら)を産んでいるため、建仁3年(1203年)9月に比企一族が滅亡して比奈(演:堀田真由。姫の前)が義時の元を去った直後から建仁4年(1204年、元久元年)ごろと考えられます。
承元2年(1208年)には次男(義時の子としては六男)の北条実義(さねよし。後に北条実泰と改名)を生みました。
義時はこの子たちを大変可愛がり、幸せに暮らしていたことでしょうが、義時の死によって彼女たちの人生が急変します。
北条家の跡継ぎ候補は長男の北条泰時(演:坂口健太郎)と、五男の北条政村。政村は嫡男であり、また元服して家督を継承する資格は十分。しかし執権として鎌倉殿を支えるには流石に若すぎ、やはり承久の乱で大将を務めた泰時の人望には敵いません。
果たして尼将軍・政子(演:小池栄子)の後押しもあって後継者争い(伊賀氏の変)に敗れた”のえ”は伊豆へ流されてしまいました(ただし政村・実泰兄弟は不問)。
貞応3年(1224年)12月に危篤となり、間もなく現地で亡くなったと見られます。
一説には義時を毒殺したという証言(藤原定家『明月記』安貞元年(1227年)6月11日条)もあり、二人の間に何があったのか気になるところです。
終わりに以上『吾妻鏡』から実朝&坊門姫と義時&のえ(伊賀の方)の結婚エピソードを紹介しました。
殺伐とした展開の多い本作における後半の箸休め的な回となることが予想されるものの、油断は禁物。
畠山重忠の最期(月岡芳年筆)。本作では第1回からずっと活躍してきただけに、視聴者のロスも大きいはず。
既に新たな災い(武蔵国を巡る利権争い、そして畠山重忠の乱)の種はまかれるなど、まだまだ悲劇は目白押しです。
成長著しい実朝の晴れ姿がどのように描かれるのか、そして第3の女・のえが義時にどんなメッセージを贈るのか、今から楽しみにしています。
※参考文献:
永井晋『鎌倉幕府の転換点 『吾妻鏡』を読みなおす』NHKブックス、2000年12月 野口実 編『図説 鎌倉北条氏 鎌倉幕府を主導した一族の全歴史』戎光祥出版、2021年9月日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan