織田信長をも唸らせた鈴木孫一!鉄砲集団「雑賀衆」棟梁の謎の晩年 (2/4ページ)
そんななかで、孫一率いる雑賀衆は、いわゆる雑賀の里出身の集団でした。諸国から要請を受けて合戦に赴く傭兵のような存在だったと言われています。
雑賀の里は、海が近かったため海運が発達していました。国内の各地はもちろんのこと、中国などの海外の国とも交易を行なっていたといいます。雑賀衆が、鉄砲という当時最先端の武器を手に入れられたのは、このためでした。
信長との和睦
当時の戦で重要な武器でもあった鉄砲をかなり早い段階で手に入れ、量産することにまで成功していた雑賀衆。彼らはなんと5,000〜8,000挺の鉄砲を常備していたといわれています。
孫一の名が知られるようになったのは、石山本願寺の合戦がきっかけでした。
三好党に雇われて、本願寺方として参戦した孫一は、その鉄砲の技術で信長を苦戦させ、『信長公記』によると雑賀衆の鉄砲によって信長は足を負傷したそうです。