「ライバル」宣言の松田聖子に中森明菜が「別に…」? 不仲は三角関係以前からか<共演NG?【犬猿の仲】の有名人> (2/2ページ)

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若松氏によれば、「聖子は本当に負けず嫌いで、明菜に“負けたくない”という意識が強かった」とし、「明菜のレコードの売り上げや出演番組を知りたがっていたという報道もありましたが、実際にそう言っていたとしても不思議ではありません」と浮上する憶測話を肯定した。続けて、「同時期に資質の違う明菜というライバルがいたことは、歌唱など芸事の面でも聖子にとって絶対にプラスだった」と語っている。
 
 その裏付けとなるのが、かつて音楽番組『ザ・ベストテン』(日本テレビ系)に初めて両者がそろって出演し、司会の黒柳徹子が「お互いをどう思っているか」と質問したときのことだという。松田は、即座に「ライバルです」と答えたものの、中森はちょっと考え込んだ表情の後に「別に……」とだけ口にしたと報じている。

 これに同誌は、「明菜に悪意があったわけではない」とし、「中森が聖子さんを意識したことは一切なく、本人にすれば“なんで比較するんだろう?”という感じだった」と当時、中森の担当プロモーターを務めていた作家・沢里裕二氏の証言を掲載。続けて、「完全に“松田聖子”を演じることができるのが聖子さんで、一方、中森は古くさいアイドル像に不満を持ってセルフプロデュースを始めた。大衆が求めるものを本能的に理解できる聖子さんに対して、中森はその大衆を裏切ろうとしていた」と見解を示した。

 『NEWSポストセブン』は今月3日、「かつて飛び交った不仲説の真実」と題し、両者の“不仲”と書き立てられた過去をさかのぼった。記事では、松田が産休を経て本格的に復帰した「1987年から“ライバル”と書く記事が急増した」とし、1989年2月には『FRIDAY』(講談社)が米・ニューヨークでの松田と当時、中森と交際していた歌手・近藤真彦の密会を報じたことで「“不仲説”が盛んに飛び交うようになった」と述べた。

 とはいえ、黄金期だった1980年代のアイドルのなかでも2トップとして並び称された両者。何もかも対照的な両者だったからこそ、国民を二分する人気を得られたのではないだろうか。

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