戦国時代屈指の忍者集団「真田忍軍」!その活躍ぶりと武田信玄との関係とは?【前編】 (2/3ページ)
幸隆は佐久郡・小県郡・北信濃の在地土豪の説得や情報収集に尽力し、その過程で禰津家を家臣に加えました。
禰津家は甲陽流忍術の家元として知られ、情報収集や攪乱工作に秀でていました。その後、真田忍軍の中核は彼らが担っていくことになります。
真田幸隆の活躍ところで当時、信濃攻略を進める信玄の前に立ちふさがっていたのが村上義清でした。天文17(1548)年の上田原の戦いでは、信玄は重臣を失って義清に敗北しています。
さらに信玄は2年後の天文19(1550)年に7千の兵を率いて義清の本拠地である砥石城(戸石城)を攻めたものの、攻略できずに大敗しています。撤退する際、村上軍の追撃を受けたのです。
しかし翌年の天文20(1551)年、真田幸隆はたった半日で、しかも一兵も失うことなく、独力で砥石城を攻略します。
