軍事施設、政治の拠点、権力の象徴…日本の「城」の歴史を紐解く【前編】
もともとは「囲い」
私たちが日本の城と言われて想像するのは、もっぱら名古屋城や姫路城のような形の建造物でしょう。
しかし実は、あのような形の城は、日本史全体で見ると珍しい部類に入ります。
そんな日本の城の歴史を、前・後編に分けてたどっていきます。【前編】ではお城の始まりから、平安時代までの歴史となります。
まず最初に、城の起源となったのは、もともと集落を守るために設けられた囲みだったと言われています。集落を外敵から守るために、土塁や石塁で囲んだだけのものです。
その原型は、西日本の神籠石(こうごいし)や、東北に多くみられる城柵と呼ばれる軍事施設だとするのが従来の通説でした。しかし現在は、人々が住む集落自体が「城」の原型だったのではないかとされています。
こうした城の原型となった「囲い」は、まず堀を作り、余った土を盛り上げることによって造られていました。もともとの材料は土だったのです。だから「土」から「成る」ことで「城」となったのでした。
こうした古代の城は、シロとは呼ばず音読みで城(キ)と呼ばれていました。現在も、磯城(しき)・葛城(かつらぎ)・高城(たかぎ)・稲城(いなぎ)など、古い地名で「城」を「キ」と読むのはその名残です。
遺跡にみられる古代の城こうした「城」で日本最古のものは、福岡県の水城だったと言われています。現存はしていませんが、やはり土塁と外堀で構成された巨大な城壁を持っていました。
他にも、こうしたスタイルの城の実例としては、大阪府の観音寺山遺跡や山口県の吹越原遺跡の高地性集落が挙げられます。いずれも丘や山の上に集落を作り、地形を利用することで外敵の侵入を防いでいました。
4~6世紀には、九州地方を中心に神籠石と呼ばれるものが築かれています。これは山城の一部と考えられ、やはり山の上で敵に攻められにくい場所を選んで造られたのでしょう。
一方、同じ目的で平地で作られたのが環濠集落です。有名なのが佐賀県の吉野ケ里遺跡などが有名で、環濠集落には堀や柵など城の特徴が備わっており、こうした集落は2世紀頃に多かったようです。
巨大化、そして政治の場へ
このように、日本の城は最初は外敵から集落を守るためのものでしたが、時代が下ると人口が増えて集落の規模も大きくなり、あわせて城も巨大化していきます。
平安時代初期には海外からの侵略に備える必要もなくなり(古代日本の城は海外からの侵略にも警戒して築かれていました)、百済人の指導による朝鮮式山城と呼ばれるものも造られています。
また蝦夷征伐が進んで大和朝廷の権力が東北地方に及ぶようになると、東北各地域にも城や城柵が多く築造されました。その中には、多賀城や秋田城の原型となるものもありました。
しかしこれも、侵略を警戒する必要性が薄れてくると、「城」は次第に政治の場としての施設へとその役割をシフトさせていきます。
以上、【前編】では日本の「城」の始まりや、平安時代までの歴史について説明しました。後編では鎌倉時代以降について説明します。
参考資料
SAMURAI’ve 刀剣ワールド日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan